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優しさを喰う仮想敵

もう辞めたやつでふたり。
今いるやつでとりあえず目に見えてひとり、心当たりのないやっかみを喰らわしてくるやつがいる。

事実としてその対象がモテるかどうかは多分実感として別問題なんだとして、
そいつらにとってはなんとなく気に食わないとか、目障りだとかいう言葉で、極シンプルな原初的嫉妬をあの手この手でぶつけてくる。

ハッキリ言うけど、俺が死んだって代わりにお前らがモテるなんてことは一切ないのです。
ちゃんと俺も時間かけてお前らに落とし前つけさすし、結果評価としてワリをくうのはお前らのほうだし。

大人しそうに見えるからって理由でナメてこられてるのも自覚あるけど、見た通りの優男だと思うなよ。
ちゃんとぐうの音くらいは出さしてやるからな。

優しさというものはなんだか水滴に似ていて、
触れ合うと混ざり合ってひとつのより大きな水たまりになるところや、
それを喰い物にしてつけあがって増幅する、一方的なところも似ている。

敵というものは作り出すものであって、本来よっぽどいない。こいつがいなければと仮想するところに敵という影に似た存在は現れる。
そんなとき優しさはエサになる。

ひと同士がわかりあえるとか性善説とか、そんなことを唱えたり信じたりしたひとは幸せだっただろうか?
ムリしてたんじゃないかな。

どんな人間になりたいかと毎朝鏡を見るたびにひとは自分を省みるのだと思う。
ぼくは優しくなりたいと思うし、仮想敵もいらない。

優しさは水滴みたいなもので、自分と似たものを引き寄せ合う、そんなものでいいと思う。

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