松村沙友理篇 制作日記No.12〈『トラペジウム』と時間の流れ〉
2021年2月15日(月)
お疲れ様です。ご無沙汰しております。
乃木坂46メンバーの卒業後を描いたファン・フィクション小説を書いています。
現在、『振り向けば青春~あの後の彼女たち~』松村沙友理篇のチャプター1(第一稿)を公開中です。
本日のテーマは、高山一実さんの『トラペジウム』を読んで思ったことと思い知らされたことです。
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▼主観の人間味
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『トラペジウム』は主人公の〈東ゆう〉の視点で描かれています。
少し毒やエッジが効いている人物描写や言葉の組み合わせがたびたび出てきてクスっと笑ってしまいました。
(#角膜レベルでの変態)
ユニークだけどちゃんとイメージできる表現が秀逸で、小説の主観である〈東ゆう〉の性格が言葉の端々から伝わってきます。
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▼小説的時間の流れ
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物語とは直接関係ありませんが、最近の僕は『「主観の意識」と「文の時制」の関係」』をキーワードに小説を読んでいます。
(詳細は制作日記 No.9、No.11をご確認ください)
『トラペジウム』を読んでいてなんとなく感じたのは、
「(この作品に限らず)小説における時間の流れってなんか独特だなぁ。どうやら小説の世界のリアルは現実世界のリアルと微妙に異なるらしい」
「例えば“縦書き”か“横書き”だけで時間経過の感じ方が異なったりするかもしれない」
などなどです。
いまはコレ以上の言語化は出来ていません。
ただ、小説における時間の流れについてちゃんと考えたほうが良いと僕の勘が言っています。
一度ココで立ち止まって、「時間」と「意識」と「表現」の関係を考えてみる方が良いのかなぁと思っています。
ある程度この辺の問題に対して回答を持っておかないと、後々グラついてしまう気がしてなりません。
幼い頃から小説に触れてきた人なら、時制とか物語の主観などと言ったことを意識せずに感覚で描けるのかもしれませんが、僕のような後天的に本を読むようになった人間はいちいち気になってしまいます。
とりあえず、以前から興味のあった西田幾多郎の思想に触れてみようかなと思っています。
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▼一流のバイタリティ
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作品と作者はなるべく切り離して考えるべきなのかもしれません。
それでもやはり、アイドルとして活躍しながらこんな作品を書き上げてしまうんだなぁと、かずみんに改めて感服しました。
いくちゃんといいかずみんといい、一流の人間のバイタリティってやっぱとてつもねえなと思い知らされました。
彼女たちと違って僕は月にたった60時間労働のフリーターなんだから、せめて努力量だけは彼女たちに負けちゃダメですよね。
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タイトルになっている「トラペジウム」の伏線を回収するラストシーンがすごい良くて、いとおしさと切なさがいっきにブワッと来ました。
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では、また後ほどお会いしましょう。
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