ジャネーの法則
毎日note生活86日目。どうも毎オムです。サムネは拾い画
もう9月だってよ。そんな声がもう一人の自分の口から聞こえてきたりします。
年々1年が早くなる話は、一般的に生きていればよく出る話題でるがこれに名前がついていることをご存じだろうか?
そう
ジャネーの法則
というらしい
偏差値90の平方根を持つ私が簡単に説明すると
ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書[1]において紹介された[注 1]法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。ジャネの法則とも表記する[2]。
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)と主張したものである。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。※WIKI引用
という事だ。
つまり年齢に反比例して1年の体感時間は短くなるので中学1年生のころと比べて1年が半年くらいの勢いで過ぎ去ろうとしているらしい。
まぁ確かに1年って早いよね最近。
ただこれもよく言われているが、刺激が少なくなっているからでは?という見方もある。
ようは昔は世の中のことが何もわからないし、毎日のように新しい事柄に出会うので”刺激的な日々”を過ごしているのが、年を取ると毎日、毎週単調になるので当たり前なのかもしれない。
確かに、今私はなるべくそんな平凡な毎日にするのは避けたいというか、何かしていないとうわああああなにもしてないいいいとかなるタイプなので何か新しい事とかに挑戦し続けているからか早いとはいえ思ったより毎日が早く感じない気がする。
なんなら、学生時代のが1年早かった。
大学生の時は、バイトサークル講義が完全にルーティーン化していて、自分の時間(しいて言えばサークルだが)がなく何かに追われている日々だった。
ライブやスタジオ、新しい後輩が入ればまぁ刺激にはなるが、それは年一だし、各種イベントも毎年同じ様なものなので刺激だったかは何とも言えない。
ただ月1あるライブはなんとなく刺激になっていたのかな?とは思うが、2年生の途中位からそのライブも淡々とこなすだけ、生活の1部になってしまっていたのだろう。
とはいえ、毎回、とくに上級生に上がるにつれただライブするのに飽きてきていたのか、はたまた調子に乗り出したのかは分からないが少し余裕のあるバンドは演出なども凝ったものを考え(むしろこっちに全振りしていたかも)たりはして「日常化」にあらがおうとしていたようなしてなかったような。
いま、社会人になり逆に時間ができ音楽作ったり何か勉強してみたりしている。
学生時代は通学往復2hあったしバイトもあったので本当にただ予定をこなすだけの日々だった気がする。
仕事に関しても、自分の専門の仕事はまだ慣れていない部分もあるが、技術職というのは勉強に終わりがない職だと周りを見て思う。
学生時代専門で一応勉強してきたことなんて、ほんと机上の空論だったなぁ~なんて思ったりする。
というより、実際必要になってからかつての教科書を見返したりすると「あ~なるほどね」なんてすっと入ってくる。
本来学問ってツールとして知識を使うことが前提の世の中なのに、テストや計算だけで身につくわけないよな~なんて思う。
まぁもちろん知らないとできないが。
私のような回路設計を仕事の場合だけかもしれないが、当時あんな理解できなかったことがえ?こんなこと??と実際自分で作ってみたりシミュレーションするとわかったりする。
PCの無料ソフトLTspiceという素晴らしい回路趣味レーションソフトがあるのだが、学生時代講義中自分でこの回路シミュレーションしてみましょう。
といいながら講義を進めたら回路の面白さもわかるし、身に付きやすかったのでは?と今になると思ったりする。
実際そのソフトは、回路各部分の電圧電流が波形として見れるので、どのような動作をするかが分かりやすいのである。作った人は天才だ。
とまぁ話は脱線したが、私は社会人になって思うことは
あれこれ知識を持っていたりなんやかんやいうやつより、なんもわかってなくても形にしたやつのが上なのだ
ということだ。
あくまで知識とかはツールだ。
知識ないけどとりあえず形にした場合、次はここを改善したい。こうするにはどうすればいいか?など勉強したり試行錯誤をするため結果的に机上の空論をいっているよりはるかに知識量も大きくなると思う。
例えば曲作りでいえば、なんもわからなくてもとりあえず形にしてみるのが大切だと思う。
それを聞いたとき、「あれ、なんかへんやな?」とおそらく思うだろう。
そこで、どうmixしたらいい感じになるのか?音楽理論が破綻しているから曲として変なのかな?とひとつづつ解決するのに知識を身に着けていくことができると思う。
この癖が身についているのといないのではもはや土俵は違う気がする。
例えば低クオリティのものなんて作りたくないという気持ちはわかるが、1年後またいい曲つくればよくない?と思う。
別に今ある曲をないがしろにするわけではないが、私は将来も自分の納得のいく曲を作り続けられると確信しているのでとりあえず量産することを心掛けている。
作ったものが10のクオリティだと感じたなら、どうしたら30にできるか?を考えるだけなのだ。いきなり100を作らなくてもいい。
今自分の思う100ができたとして、はたから見てそれが20でもいい。
形にして試行錯誤を重ねることできっと来年はもっといい曲が作れているはずなのだから。
今あるものは無くならないし、数か月後もいい曲を自分は作っていると思う。
だって音楽はずっと続けているはずだから。
なのでそんな焦らず、ただ今やりたいことをやるだけ。行動することが大事だと自分は思っている。
行動した後にしか次には進めない。
行動せず色々なやんでも、分かれ道を増やしているだけだ。
それがダメな結果でも、もうこのやり方はやめよう。この道は違ったな。
となれば前身である。
足踏みしている間に、私たちは逆関数的に時間が短くなっていくのだから。
おしまい!
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