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【#短編小説】人を傷つける文章 副題:小指の外側が真っ黒になるまで

『みんなが、私のいないところで、私の悪口を言っている気がするわ』

 みんなとはすなわち、全て。
 全てが自分を嫌っていると考えることは、全てが自分を愛していると思いあがることと同義です。

 また、害意を抱いている者がみな悪口を言うとも限りません。
 人間には、悪口すら言わないという選択肢もあるからです。

『みんなが、私のいないところで、私の悪口を言っている気がするの!』

 少しだけ、落ちついて考えてみてください。
 そうすれば、彼女の言うことがありもしない話、或いは、自意識過剰気味な話であるということは、あなた様にもわかっていただけるかと思います。

『みんなが、私のいないところで、私の悪口を言っているの!』

 そして、そんなことは彼女もわかっているのです。
 わかっているからこそ、嫌われているのに好かれていると勘違いしないように気を付けながら生きているのです。

 そんな彼女に手を差し伸べる人は………。
 ……………………。
 ………………。
 ………。
 一人もいません。

 いえ、本当は僅かにいるのですが、彼女の心に巣くう対人関係に対する恐れからその手をとることができず壊れ続けて――――最終的に壊れきってしまうのです。

 これは、絶対に変えることのできない運命。
 どれだけ彼女が悩んで自己改善を行なっても、一所懸命に試行錯誤して謝罪の言葉を考えようとも………。

『私は、相手がどんな人であろうとも、数回も話せば化けの皮がはがれて疎まれる存在だ…………私の根源的性質は周囲の人々の関係を破壊する要素を多分に含む、そしてそれは変えようがない…………』

 このような考えから逃れることは、絶対にできないのです。

 なぜならば、彼女は私が書いている小説の主人公であり、小説の結末は決まっているからです。
 私はその結末を描きたいがために、その小説を書いているからです。


 そんな、私のせいで地獄を味わい続ける少女の名はヴェタエス・ラトコト・チムチュリー。
 かの名曲、チム・チム・チェリーを歌いながらつけた名前です。


 ある春の晩、深夜二時頃。
 私の前に、チムチュリーが現れました。

「こんばんは、私のことはご存じよね?」
「ええ、知っていますよ。私はあなたの作者ですから」

 驚くことはありません。
 チムチュリーは小説の登場人物。
 文字の上でしか、会うことができないはずですから。
 それが、今、目の前にいるということは、夢、でしかない。

(ここ最近締め切りが続き、睡眠時間の短い日が続いていましたからね)

 夢とはいえせっかくの機会なので、私はチムチュリーに問いかけてみることにしました。
 私の書く小説の中で生きる日々はつらいですか……と。

「つらいわ」
 
 ああ、やはりそうですか。
 では、次の質問はより具体的に。

「死というかたちであれば、私は、現在書きかけ状態にある君の物語を早く終わらせることができます。つまりは、君の苦痛を終わらせることができますが、それを望みますか? はっきりと申し上げますがチムチュリー、君の苦痛は物語と君が終わるまで、ひと時の休息すらなく、増していくばかりですよ」

 チムチュリーはすぐには応えず、ぼんやりとした表情で何も考えていないかのような顔をしていました。

 そして、二時十五分を過ぎた頃私に、こう、言ったのです。

「あなたは作者の癖に、私のことを理解できていないのね」

 それからチムチュリーは私に背を向けて、踵をトントントンと三度鳴らすと消えてしまいました。
 
 はて……。
 私は、この小説にオズの魔法使いの要素は取り入れていないはずですが…………。
 ……………………。
 ………………。
 ………。
 ……………………。
 ………………。
 ………。
 ……………………。
 ………………。
 ………。
 ともあれ、部屋に残ったのは、雨上がりのアスファルトのような香りだけであったのです。

(その後私は、目覚めることはありませんでした。当然です、私は眠ってなどいなかったのですから)

 翌日、私は泣きはらした顔で、原稿用紙とHBの鉛筆を買いに行きました。
 子どもの頃に通っていた近所の小さな文具店は潰れてしまったので、少し離れたショッピングモールへ。

(原稿用紙を最後に使ったのは、いつの頃であったでしょうか。たしか、中学二年の夏休みに書いた小説で最後――――)

 今私は原稿用紙に鉛筆で書きたくて、書きたくて、書きたくて、仕方がないのです。
 いえ、こうせねば書くことができないはずなのです。

 私が思っていた以上に前を向いて、抗っていたチムチュリーの生き様を書き上げるためには、原稿用紙に鉛筆で、小指の外側が真っ黒になるまで書き続けなければならないはずなのです。

 ですが、チムチュリーの結末は、変わりません。
 変えるつもりもありません。

 ただ、ひとこと、最後に書き加えたいと思っています。

『嗚呼、誇りを。』




おわり


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