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私達は今日も、昼下がりの人妻が動く日を夢見ている

先日、ヘアカットに行きました。長い外出自粛から反動のような忙しさに見舞われた影響で美容院に行くチャンスを逃してしまっていたため、随分久しぶりです。

私はもう15年ほどこの店に通っているので、美容師である店のオーナー(50代ぐらいの男性)とも顔なじみであり、カット中は気軽に楽しく雑談をさせてもらいます。その中で、「鬼滅の刃の勢いすごいですよね」「読みました?」という話になったのですが、その中でオーナーがひとこと。「実は僕、本が読めないんですよね~」と。

詳しく聞くと、一緒に美容師として店を切り盛りされている奥様はかなりの漫画好きで、鬼滅は全巻自宅に揃っているのだとか。でも、ご主人であるオーナーは本が苦手で読めないので、ずっと未読のまま。それが、先日テレビで2週連続で鬼滅の刃のアニメがやるというので、そこまで話題なら…と見てみたそうで。

オーナー曰く、「テレビでアニメをみたあとで、映画が公開されるって知ったんですよ。映画の売上すごいですよね!あの売上のうちの何回かは、僕ですわ!ははははは!」
めちゃくちゃハマってるじゃないですか、と思わず突っ込む私。

実はこの方、いままでいろんな作品がこのパターンなんだそうです。NARUTOもONE PIECEも、コミックスは自宅に揃っている。でも自分は読めないので、全部アニメから入っているしハマったけど、それでも結局本が苦手なため、漫画は未読のままだというのです。だから、鬼滅の刃のコミックスも読まないだろう、と。

「よく、アニメ化されると『声が違う』とかってみんな言うじゃないですか。僕は声が聞こえたことがないからその感覚がわからないんですよね。小説なんかだと、登場人物が動くとかっていうけど、それも動いた試しがないんです」
笑いながら話すオーナー。おや…?と思う私。なぜなら、他にもそんな人に心当たりがありました。うちの旦那です。

うちの旦那も本が読めない人です。厳密に言えば、全く読めないわけではない。でも、読むのにはとても労力が必要で、時間もとてもかかります。そんな話を、以前Twitterにも書いたことがありました。

ハリーポッターが読めなかった旦那が、耳で聞くオーディオブックに出会った日。彼の世界は変わりました。ずっと小説を楽しめないと思っていた彼は、いまでは耳で小説を楽しむ人になっています。

本が読めない背景にあるもの。それは、文字の読み取りと理解に苦手さがあるからです。そして、世の中にはその逆のタイプの人達もいます。まさに、私自身が聞き取りに困難を抱えるタイプの人間です。

オーナーにも、簡単にそんな話をしました。「世の中には、読むほうが得意な人と聞くほうが得意なひとがいるらしいですよ」という話。そして、旦那やオーナーは読むより聞くほうが得意な人なんでしょうね。私はその逆で、実は聞きとりが苦手なんですよ~って話もしました。

そんな私の話を聞いたオーナーから、笑いながらもポロッとこんな言葉が出ました。
「もっと若い頃や子どもの頃に、自分の話に耳を傾けてくれる人がいてくれたら、自分の世界はもっと広がってたかもしれないのに」
その気持ちは私も痛いほどわかります。私達のように、ちょっぴり他人からはわかりにくい苦手を持つ人間は、おとなになってその事実に気づいたとき、どうしてもそれを思わずにはいられないんですよね…。

一瞬しんみりしかけた私に気づいていたかどうかはわかりませんが、オーナーが話を続けます。
「でもね!そんな『本が読めない』という僕の話を一人だけ、真剣に聞いてくれた友人が若い頃にいたんですよ!」
「友人はすごく本が好きな奴でね、それでも本が読めないという僕をバカにしないでね。『だったら、お前、これを読んでみろ。これなら絶対にお前にも読めるから』って一冊の本を手渡してくれたんです」
ほほう、これはイイ話の予感です。続きを聞かせてもらおうじゃないかと、思わず身構える私。

「その本のタイトルがね、『昼下がりの人妻の情事がなんちゃら』ってやつでね。いわゆる官能小説ってやつですわ」
予想外のところから切り込んできた友人チョイス。しかし、官能小説のわかりやすさ、擬音の多さ、年頃男子への興味へのアプローチとしては最適解かもしれない。真の本好きだからこそできる素晴らしい提案です。熱い友情と友人の思慮深さを感じ、静かに感動する私。

「僕も若かったしね、なるほどこれなら初めて本が読めるかもしれへんって思ったんですよ。そりゃもう、期待して本を開きましたね!」
そうでしょうそうでしょう。もう全力で頷きながら昼下がりの人妻に私も奇跡を期待し、胸が高鳴ります。

「そしたらね、僕の中の人妻……動かなかったんですわ~~~~~」
「あああああああああ~~」

そうか、昼下がりの人妻でも太刀打ちできなかったか。残念無念。しかし爆笑。二人で大爆笑。哀しきあの日の人妻は動かないままオーナーの中の思い出の人になったのね。

いっぱい笑ったあとで、私から話をしました。
「でももう、これからはスマホをかざすだけで、文字を読み上げてくれるような時代ですよ。それだけじゃなくて、たとえばメガネ型のデバイスみたいなものができて、スマホをかざす必要すらなくなりますよ」

実は私、10年前にこの店に初めてiPhoneをもってきた客なのです。これは世界を変えるツールだと熱く語ったあの日から、この手の中の小さな機械や様々な技術が、実際に障害のある人や、障害という自覚がないまま困難とともに生きてきた人たちの世界を変えるのを見てきました。先日、耳で聞く読書に出会ったうちの旦那のような人たちが、世界にはたくさんいるのです。

「オーナーやうちの旦那みたいに、文字を読むのが得意じゃない人には自動で読み上げてくれて、私のように言葉の聞き取りが苦手な人には話し言葉に自動で字幕がつく。そういう世界が必ずきますよ。ってかもうそこまで、来てますよ!」
「そしたら今度こそ、僕の中の人妻は動きますかね!?」
「動きますよ!いまはsiriもアレクサもカタコトっぽさがありますけど、そのうちAIが情感たっぷりに読み上げてくれる日が絶対来ますよ。昼下がりの人妻は、もうそこまで来てますよ!」
楽しみですねと笑いながら、久しぶりにさっぱりした髪で、私は帰宅したのでした。

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なちゅ。
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