号泣するひとは「大人」じゃないのか。

福岡県に住んだことのあるひとは、毎週金曜日深夜0時55分に8チャンネルで放送される「ゴリパラ見聞録」を一度は見たことがあるだろう。
「しがない芸人3人が日本全国どこへでもあなたの願いを叶えるために出かける旅番組」である。

わたしがこの番組をはじめて見たのは、高校2年生のとき。
当時寝るときもTVだけは消さない癖があったわたしにとって、深夜にたまたま映ったのがこの番組だったのである。

なぜこのときのことを覚えているかというと、人間の暗部がテレビに映し出されていたから。
流れてきたのは、「ゴリけん」と呼ばれる男性が、後輩であろう二人から「なぜ後輩たちに陰で悪口を言われているのか」について忌避なくぶつけられているシーンだった。

補足すると、このゴリけんは30代後半の中年男性であり、
それが後輩から「なぜいい年になって後輩に先輩ヅラするのに、奢ることもせずお金を借りているのか」という点を小一時間問い詰められるという、なにひとつ笑えない状況だったのだ。

放送事故だと思った。
即チャンネルを変えた。
そしてしばらくはその時間帯、8チャンネルにすることはなかった。

そのくらいJKにショッキングな第一印象を与えた番組だったが、
喉元過ぎればなんとやらで、また半年後、たまたま同じ番組が流れてきたのである。

今度は「斉藤」という男性が号泣していた。酒を飲みながら「もういい年なんだからいい加減売れたい」「毎日稼働しているのに生活が変わらない」「お金が入ったらパチンコで使い果たしてしまう」といいながら嗚咽していた。
かわいそうで、チャンネルを変えることすらできなかった。

補足すると、この斉藤も30代後半の中年男性、小学生になる娘がいるのである。

これが、冒頭の「しがない」に関するリアルだ。

わたしは子供の頃、大人は泣かないものだと思っていた。
大人は喧嘩しないものだと思っていた。
学校の先生のように、いつも冷静で、公平で、余裕があるものだと思っていた。

しかし彼らは違った。
悪口を言うし、文句を言うし、どうしようもない理由で号泣している。
子供から大人になりかけているわたしには、正直すぎるように見えた。
そんな大人、見たことがなかった。

先日「お笑い芸人は泣くものじゃない」という論調がワイドショーで流れていた。
でもわたしはこの時「なりふり構わず戦うひとは、どんな肩書きであろうと、見ていてなぜか励まされる」ということを学んだ。 
なぜかは考えても、答えが見つからなかった。

社会に出て、会社に入ると目に見えないルールが身にしみていく。
疑問を持ったり違和感を覚えながら、適応していくのが社会人か。社会人は、泣いたらいけないのか。

画面の向こうに映る大人は、「タレント」でも「お笑い芸人」でもなく、人間だと感じた。
正しく生きていなくても、大人になれるんだと気づいた。

それから8年間、わたしはこの番組で人間のリアルを見続けている。
大人になることを教えてくれた彼らこそ「わたしの素敵なひと」です。