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骨が折れた。5

肘上までのギプスはなかなか辛かった。
肘を曲げたまま固定されているので肩の凝りが半端ないし、首も痛い。

第一形態の時は指先もまた、ほとんどがギプスで固定されていた。
指を動かすことは当然ながら手首にも影響するからである。

ギプス第一形態。袖が通せていない。

右手の指先がちょびっとだけしか動かせない状態で左手しか使えないと、買い物にも苦労した。財布を開けるのもスマホを操作するのも難しいのだ。
なんでも時間がかかってレジスタッフの目が痛い。
中には親切にも手伝おうとして下さる方もいるのだが、それがまた焦りに拍車をかける。

スーパーやコンビニのレジで、ご老人が支払いに戸惑っている場面によく出会すが、仕方のない話なのだ。
怪我してなくても老化によって指先はうまく動かず、目は見えず、判断力も記憶力も衰える。
生きてるだけですごい。
支払い金額に応じた紙幣や小銭を用意する行動に時間がかからないわけがない。だからデビッドカードなんかを利用した方がいいと思うのだが、テクノロジー周りの進化についていけなければそれも無理となる。
ああ無情。

左手しか使えない状態では洗濯を干すのにもなかなかの苦労があった。
洗濯物をハンガーにかけるとか、ピンチに挟むとか、何でもないことだと考えていた行為がマジで出来ないのだ。
ううむと頭を悩ませ、洗濯物を台の上に置き、ハンガーを入れ込む作戦でなんとかした。
靴下などの小物は僅かに動かせる右手の人差し指と中指の先っちょで挟んで持ち上げ、左手で開いたピンチの間に差し込んだ。
お分かりになるかと思うが、とにかく時間がかかる。絶望的な気分になる。

そして二週間が過ぎ、ようやく迎えた診察日。
ギプスを外してレントゲンを撮影することになり、リハ先生と再会。

「今からギプス外しますけど、こういう道具で…ってご存じですよね」

ええ。既に経験済みですから説明は不要です。
先生と互いに苦笑いしながらウィーンガガガバリバリとギプスを外して貰った。

二週間曲げたままでいた私の肘は…見事に固まっていた。二週間でこれなら六週間も経ったらどうなってしまうのか。
心配する私にリハ先生は恐らく、今日でギプスが短くなるから大丈夫だと話した。
その通りで、レントゲンの結果は順調、このまま固定を続けると先生が判断したので、再びギプスを巻かれることになったのだが、今度は肘下までの固定となったのだ。

これが画期的に楽だった。
まずアームホルダーで吊らなくていい。
真っ直ぐ腕が伸ばせる。
指先もちょこっと出して貰えた。

ギプス第二形態。鏡が汚くて申し訳ない。





少しのことでかなり違うものだ。
ちなみにバイクの事故で肘を骨折したことがあるというリハ先生によると、肘の骨折は完治までも大変だが、その後のリハビリも大変だそうだ。
そりゃそうだ。
六週間も固定したら固まってしまう。

第二形態になりようやくコートに腕を通すことも出来るようになり、ぱっと見にはギプスをしているかどうかも分からないようになった。
しかし、運転は出来ず、どこへ行くにも徒歩。
ピクミンの為にも徒歩。

出来ることも限られているからとにかく歩き回っていたので近辺の地理には大変詳しくなった。
二十年以上住んでいても、この道はどこに繋がっているんだろうという道が多々あるもので、アドベンチャーな毎日だった。
長く住んでいる街なのに、行く場所は限られていたから、骨折しなければ一生知らずにいたかもしれない。

そうして再び二週間が経ち、診察日となった。

この日、私は骨折生活最大の悲劇に見舞われる。

ギプスが肘下までになり、かなりの自由を得た私には妙な自信が生まれていた。

よし。公共交通機関で病院へ行ってみようと思い立ったのである。

都会の方はそんなこと当たり前だろうとお思いになるかもしれないが、公共交通機関が発達していない田舎だとそっちの方が難しいのだ。
特に私がお世話になった病院は自宅から遠く、歩いてはとても行けず、車が必要な場所にあった。

しかし、病院の前にバス停があるのに私は気づいていた。
うちから病院までは車だと南へ下るのだが、電車で西へ行き、東へ向かうバスに乗れば着くはずなのだ。

仕事から帰ったら連れて行ってあげるよと言うクマの親切を断り、レッツチャレンジこれも高齢者になって免許返上する時へ向けての訓練よ!と鼻息荒く宣言し迎えた翌朝。

外は雨。

無理をせずに俺を待てとクマは出かけて行ったが、妙なところで頑固な私は、本降りでもないのだから行けると判断し、コートを着て、リュックを背負って万全のお出かけスタイルを整え傘を差して出発した。

今思うに、この頃、どうも私はおかしかった。
人生初めての骨折で気が動転し続けていたのかもしれない。
いくら小降りでも、傘を差して駅まで歩くなんて、両手が使えるようになった今でも絶対やらない。

我が家から駅までは自転車で十五分、徒歩なら三十分近くかかる。
そこへ左手しか使えないのに、その左手を傘で塞がれた状態で歩いて行くのは正気の沙汰じゃない。
今ならそう思えるのに、何故だかあの時は大丈夫と思えたのだ。

駅までの道を歩き始めて十分ほど経ったところで雨脚が強くなって来た。
同時に左手が疲れて来た。
普段キーボードを叩くくらいしかしていない暮らしだ。
軟弱オブ軟弱。
年に一番動くのはコミケという生き物なんだよ。

右手では持てないから、肩にかけるようにしてみたら濡れる。
足下はレインシューズを履いていたけど、跳ね返りでデニムの色が変わっている。
ううむ。
これは早く駅まで行かなくてはならない。

そう思って足を速め、頑張って頑張って、ようやく駅に着いた。
屋根のあるところに入れば傘を閉じられる…と思い、急ぎ駅舎へ入ろうとしたら、なんだか妙な集団がいた。

年配の男女が五名ほど。駅の利用客に何やら配ってる。
コロナになってから出来るだけ見知らぬ人とは接しないようにしている私は、それとなくやり過ごそうとし、気配を出来るだけ消して、隅っこで傘を閉じようとした時。
年配のご婦人が声をかけて来た。

「薬物防止のキャンペーンをやってるんです。これ、どうぞ」

そう言って、何やら販促グッズ的なものを差し出して来たのだが、私は左手一本で傘を閉じようとしていたので、それどころではない。
首を振って結構ですと伝えるが、ご婦人には伝わらない。
無理矢理右手に押しつけようとして来る。
コートを着ているので、ギプスが見えず、右手が使えないことが分からないらしかった。

ああ、面倒だな。諦めてくれないかな。せめて傘を閉じるまで待ってくれ。

心中で苛つきつつ、傘を閉じようとするのだが、何故か、うまく閉じられない。
ジャンプ傘だったから下ろくろを下はじきの方へ引こうとするのだが、何かが引っかかっている感じがして、途中でとまってしまう。
このままでは傘が閉じられないではないか。
焦る私にご婦人が「どうぞ、遠慮しないで」なんて言って来るのだが、遠慮なんかしとらんがな。仕方なく。

「右手が使えないんです」

と訴えてみたところ、ご婦人、どうしたと思います?

なんと。

私の背中のリュックを開けて、そこへ「入れておくわね」と販促品を入れたんです。
ちょっと驚きでしょう?
ええ。私も目が点になりました。

普段ならさすがに失礼じゃないかと怒るんですがね。
同時にとんでもないことが起きたんですよ。

左手でふんぬうううと力の限りで閉じようとしていた傘が、分解したんです。

「!!!」(驚愕)

それまで全然気づいてなかったのだが、その傘は既に限界を迎えていたらしかった。
駅まで保ってくれたのが奇跡なくらい、壊れていたのだ。
全然知らなかったんだけど。

親骨と受け骨が離れ、とにかく見るも無残にバラバラに外れた傘は、閉じることなど永遠に不可能な感じでお亡くなりになってしまった。
それにはご婦人も驚いて、リュックのファスナーを閉めながら「あらまあ」と言った。それから、何故か「私の傘を貸しましょうか?」と続けた。

もう、私の頭の中はパニックになっていて、何をどう判断したらいいかも分からなかったのだが、取り敢えず、見ず知らずのご婦人の傘を借りることはあり得ないという判断だけは出来た。

無言で首を振り、バラバラになった傘をどうすべきかを高速で考える。
開きっぱなしの状態で分解してしまった傘を持って電車に乗ることは出来ない。
電車の時刻には余裕を持って来たけれど、もうすぐ到着する。
傘がいる。
目の前にはコンビニ。
まずは傘を買わなくては。

壊れた傘を駅舎の隅に置き、じっと見ているご婦人に「後で取りに来ますから」と言い訳みたいに告げて、コンビニに飛び込んで傘を買った。
壊れた傘を横目に昼間は利用客もさほどいないから迷惑にはならないはずだ、帰りに持ち帰ればいい、そう自分に言い聞かせて、急ぎ改札を抜けてホームへ向かうと電車がやって来た。

電車に乗り込み、空いてる座席に座って、はあと息を吐いた。

駅に着いた時点でものすごく疲れていたけれど、その後のあれこれで三倍くらい疲れていた。
ぼんやり電車に乗り、バスターミナルのある駅で降り、病院前のバス停に停まってくれるバスを探して時刻表を見ると、一時間に二本しかないバスまで、十五分ほど待たなくてはならなかった。

誰もいない雨の駅は寂しくて、古いベンチに座って、そういえばと思い出してリュックを開いてみた。
ご婦人が何か入れたよな…と探してみると、「薬物ダメ」と印刷されたウェットティッシュ、マスク、チラシの三点セットが入っていた。

どうも地区の薬物防止委員会的なところの広報活動だったようなのだが…。
うん、そうだね。
大事な活動だよね…と思うんだけど…私は薬物防止のターゲットではないだろう。明らかに。
たぶん、あのご婦人は広報グッズを早く配り終えて帰りたかったんだろうな。
分かるよ。

ご婦人のちょっとアレな行動に腹も立たず、ひたすら、駅からあの壊れた傘をどう持ち帰るかについて頭を悩ませていた。

左手一本で二本の傘を持つのはやはり無理だ。
クマが帰宅したら車で駅まで取りに行って貰うか。
首を傾げるクマの顔が思い浮かぶが致し方あるまい。

やって来たバスに乗り、病院でレントゲンを撮り、ギプスは無事に第三形態となった。
少し短くなって、指先はもっと出して貰えたので、可動域が広がった。

第三形態。かなり短くなって自由度が上がった!
繰り返すが鏡が汚くてすまない!

嬉しかったが、頭には「傘どうしよう」があったので、今ひとつ喜べないまま、再びバスに乗り、電車に乗って最寄り駅まで戻った。

取り敢えず、傘の状態を確認し、もう少し目立たない場所へ移動させておこう。そう考えながら傘を置いた場所へ行ってみると。

なんと。

壊れた傘がなくなっていたのだ。
一体、誰が?
無人駅だから駅員さんでない。
一昼夜くらい経っていたら分からないでもないのだが、三時間くらいしか経ってないのだ。

狐につままれたような思いで考えて出たのは、あのご婦人が始末してくれたのではないかという結論だった。
ご婦人が深く同情したくなるほど、悲嘆に暮れていた自信がある。
右手が使えないと伝えた時に、哀れみの目で見てくれたしな。

よく分からないけど、ありがとう、ご婦人。

そういうことにして、駅からの道を真新しい傘を差して帰ったのだった。


続く(次回感動の最終回)

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