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SAYONARAのマーケティング

こんばんは。随分と間をあけてしまいました。
久しぶりとなります。暑い一日となりましたね。
 早速、タイトルに従って、進めて参ります。
 銀河鉄道999のエンディングテーマを聴いて、センチメンタルな氣持ちになってしまい、今夜のタイトルと致しました。

 

先ずはこちらの動画をご覧ください。

 バブルの終わりが急速に訪れ、何となく日本の活氣も衰えを見せ始めてきた頃、JR東海のCMでは「シンデレラ・エクスプレス」が流れていました。
 
 シチュエーションはこうです。

 学生の頃を通じて付き合ってきたカップルに転機が訪れます。
 彼氏の突然の関西への配属。
「別れるか」、「それとも遠距離恋愛を続けていくか」。

 二人は「556km(こころ)の距離に負けない二人」を選択します。

 月に一度の金曜日の夜、最終の上り新幹線でやってくる彼と、彼女は素敵な東京での週末を迎えるのでした。しかし、まだ金曜日の夜なのに、彼女の気持ちは、もう日曜日の「さよならの夜」が頭から離れないでいます。
 デートの最中も、浮かない彼女の顔を覗き込む彼氏に「なんでもない!」と笑顔を向けてはみるものの、切ない気持ちが頭から離れない。

 今週も、やはり来てしまう日曜日。
 21時00分、東京発の下り新幹線 新大阪行きの最終…..。

 


Photo by Felicity Lynn

シンデレラ・エクスプレス シンドローム

 こうした背景を抱えて、彼氏を信じ、月に一回の「舞踏会」を心待ちにしてる「シンデレラ」。CMはその「恋人たちの週末」をすべて含んで創り込まれているんですね。短歌や俳句の世界です。

 午前零時ではないけれど、舞踏会会場である東京駅では、こうしたカップルが最終新幹線の扉の前で、手をつなぎ、時にはキスをしながら、その魔法が解けてしまう21時まで、切ない心を押さえつつ過ごしていたのでした。

 「このまま、時が止まってしまったらいいのに……。」

 毎週日曜日、こんな「シンデレラ物語」が東京駅で、それぞれの物語が繰り広げられていたのでした。

あ、「マーケティング」忘れてた!

 えーっと、そうでした、このNoteって、マーケティングのノートでした。
 本題に入ります。
 まー、お分かりとは思いますが、JR東海はこのCM一本のお陰で、どれだけの「売り上げ増」を果たしたのでしょう。一億円強の投資をしていたようです。でも、「モトは取っているでしょう!」

 東京、大阪間にはもちろん「飛行機」という手段もあります。
 しかし、この頃のシンデレラと王子様達の”頭の中”には、「新幹線」しか手段がありませんでした。このCMは「洗脳」に近かったです。(笑)
 ユーミンの歌声は、何度も頭の中でリフレインしていたはず。

 スーパーコピーである、 ”距離に負けない” は「恋する二人」への応援でもあり、「JR東海の懐を大いに温かく」した銘フレーズですね。
 歴代のJR東海のCMには金字塔を打ち立てたくさい「クリスマス・イブ」がありますが、新幹線の利用頻度を大幅にアップさせた貢献度の高いCMは、この「シンデレラ・エクスプレス」ではないでしょうか。

 背景としても、「バブル経済」は終焉に向かってはいたものの、まだまだ今と比べものにならない程の「可処分所得」が手に入っていた日本国民。
 まして、社会人になりたての若い男女が、恋愛に金を突っ込まないで、
「どこに突っ込むのでしょうか?いいえ、どこにも….。」という時代背景がありました。
 しかも新幹線は、「クリスマスイヴ」のCMで、なんとなく「恋愛イメージ戦略」に勝ってしまった感がありました。当時の「広告が社会を動かしている」のは当たり前だったのですね。

 「みんなが潤っている」という社会で、「悲観主義者以外」、誰が困るんですか?って思えるくらいの楽しさがありました。

 バブル期にも、悪いところはあったのかもしれません。
 でも、もし「再来可能」なら、あの当時、バブルを味わえなかった世代の人達にも、生で感じて、「評価」して欲しいのです。
 「良かった」「悪かった」でなく、「何が心に刻まれたか?」を。

「SAYONARA」のマーケティング

 そして、冒頭の写真に、なぜ「メーテル」を貼ったのか?につなげていきます。 実は、そのメーテル、アクリル絵の具で和多志が書きました。(笑) そんなこと、どうでもいいのですが、
 この曲は、映画「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」のエンディングテーマです。Mary Macgregorという外国の方が歌っています。
 
 出だしの「♬さよおーならぁー」だけ聞くと日本人歌手の方かな?と思ってしまいますが、全篇、英語の歌となっているところが、またいいですね。

 この歌の伏線となっている映画のエンディングを少し書かせてください。

 主人公の哲郎は、再びメーテルと地球への旅路を共にするものと思い、先に999に乗って準備をします。999が動きだしたあと、哲郎はホームに佇むメーテルの姿を見てびっくりします。車内を後方に向けて走り出す哲郎。
最後尾に辿り着き、ホームで哲郎を見送るメーテルに視線を送ります。
 その時哲郎は、メーテルの心の内を察したのでしょう。

 その後、メーテルの言葉で、哲郎への思いが語られます。

「さようなら鉄郎…。いつかお別れの時が来ると私にはわかっていました。私は青春の幻影。若者にしか見えない時の流れの中を旅する女。メーテルという名の鉄郎の思い出の中に残れば、それでいい、私はそれでいい。さようなら、鉄郎。あなたの青春と一緒に旅をした事を私は永久に忘れない。さようなら….、私の鉄郎。さようなら…..」

  完全に、愛する男女の「別れ」の場面になっていました。

 小学生の頃に、銀河鉄道999 等、アニメを見て育ったせいか、「二次元の世界に気持ちが動かされる経験」は何度かありましたが、大人になってから、再度、このセリフを聞いて、読んでみて、子供の頃には分からない境地に辿り着くことが、この「999の映画」にはありました。
 それは、メーテルのセリフは、作者の松本零士先生の気持ちの代弁させているような気がしていることです。

 哲郎はもちろん松本先生本人の投影であり(本人も認めていらしたようですね)、「SAYONARA」という言葉は、哲郎でもある松本少年がメーテルとの「永遠のお別れ」をしたことを表現しているのであると感じました。

 松本先生は、「メーテル」というキャラクターを、とても大切に育ててきたような感じがしています。
 それぞれ、他の女性のキャラクターにも愛着はあったのでしょうけど、「メーテル」は特別な存在だったのだと、そんな気がしています。
 つまり、メーテルと旅をする男の子に松本先生は、自身を投影する事により、メーテルと永遠の旅をしていたのかもしれないです。

 でも、その旅にも終止符を打つことにした….。

 これは、さすがにどんな事を表しているのか、分かりません。
 松本先生のプライベートに何か大きな出来事があったのか?
それとも、
 「このまま銀河鉄道999だけに固執していてはいけない」という漫画作家の決め事だったのか?
 確かに、「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅劇場版が公開されたその同じ年の1981年、先だって、テレビ放送されていたアニメ番組も終了させています。
 この松本先生が残したメッセージ「SAYONARA(しかもローマ字)」には、並々ならない思いが込められている気がしています。
 今年、先生が亡くなられてしまったので、もう、その「思い」を確かめることができなくなってしまいましたね。

 これは、勝手な解釈ですが、歌手が自身の人生の転換期や、思い出を歌にして出して「ヒット」させるのに似ていますね。
 マーケティングとして、かなり成立している方法だと思います。

 いずれ、この「マーケティング」Noteマガジンで芯の部分を書こうと思いますが、今回書かせて頂いた「こと」が、「マーケティングの定義」なのではないか?と感じております。探したけれど見つからなかった「定義」です。
 松本先生のアニメや漫画がヒットした要因でもあるでしょう。
 自身なりに解釈している「こと」が、これからの市場を開拓する手段であり、また、経済学でも語られている「キモ」でもあるのではという思いです。
 実は、日本で「唄」として、立派に成立していた「マーケット」が、今となっては消滅しかかっていることにもつながってしまっています。
 そのことを、機会をうかがい、いずれ書こうと思います。

 今日も、長文失礼いたしました。
 あなたの「命」ともいうべき大切な時間をここに共有頂いたことを感謝いたします。
Masa
 
 






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