「マーケティング」のマーケティング
こんにちは。春の陽気が続くようになりました。
とても暖かく、気分良く過ごせるようになりましたね。
今日も、ここへお越しくださり、ありがとうございます。
少し、このマガジンのテーマとしては間が空いてしまいました。
今日も、テーマに沿ってはじめて参りたいと思います。
「マーケティングの定義」とは
以前、このマガジンの一番最初の記事を書いた時の話しです。
もし、お時間がお許しになれば上の記事をお読み頂きたいのですが、大学卒業前の就職活動中に起こった出来事を書かせていただいております。
ある食品メーカへ就職活動を行っていた際、質問を受け、答えられなかったことを、ゼミの教授に報告したときのエピソードです。
ゼミの先生から得られた回答ですが、もう古い話しなので、今とは事情が違うと思います。1992年の事です。
つまり、「今(当時)の日本にはマーケティングの定義はない」とのことでした。
その当時は確かにあまり使う言葉ではありませんでした。意味の解釈も、薄ぼんやりしていましたしね。カッコイイから横文字を使う!的な感じでもありました。
ただ、もしかしたら?なんですが、えー、個人的な感覚なので恐縮ですが、もしかしたら2023年の現時点でも、日本では「マーケティングの定義は無い」のではないかという気がしています。
「ないわけ、ないじゃないですか?」って、確かに思えますよね?言葉として、インターネット広告で散々、使われている言葉ですしね。
でも、よく考えてみてください。
第一に、それに見合った日本語が、あれから30年経った今も、登場していないんです。深く日本に根差した概念なら、日本語として、言葉が発生してもいいんじゃないかって思えるのです。
第二に、英語圏には「Market」という動詞が存在しているから「Marketing」という動名詞が存在していますが、日本語には「マーケット」という動詞が存在しません。
英語圏の動詞「Hand(手渡す)」「color(色を付ける)」「size(大きさを決める)」など、日本語にない動詞があります、それと同じ感じです。
「マーケティング」が曖昧な日本だからこそ売れる「マーケティング」
日本人の特性として、「曖昧なものを曖昧なまま受け取れる」という特性があると思っています。
「付き合っているのか、いないのか分からないまま、交際らしきものは続いている。」「なし崩し的なHはしている。」
とか、
「それで、結局、契約はまけたのか、まけなかったのか、どっちだ?」という上司と部下とのやり取り、とか。
つまり、「マーケティング」の事を知りたくて、マーケティングの本を何冊も買ったのに、ちっとも「モノ」が売れるようにはならなかったり…。
また、本を出す方は、曖昧な「知識者」や「権威者」が、曖昧な成功例をいくつか挙げるだけで本を出せるので、曖昧な読者が買ってくれたりして。
そして、究極の事を言えば、今、インターネットで販売している「教材」が本当に不可解。
「その道のプロフェッショナル」が販売している「ノウハウ」
本当に、その道で、そんな金額を稼いだのか?と怪しい実績を引っ提げて、販売する「ノウハウ」。
教材を「買う」決断までに至る人にとって、
「その人のように”成功?”したい」
のに、全く届かないどころか、教材代金も取り返せないといった「教材」。
「こんなに稼げるノウハウをなんと無料で教えます、先ずはLINEでお友達になって、そこから無料のノウハウをゲットしてください!」
無料なのに、どこからか、有料に切り替わっていくのですね。
いくつか、安いものでしたが購入してみて、検証してみました。
最高額1万円。結局、その1万円の教材は「どんなことがあっても5万円は取り返せます」との触れこみだったので買ってみました。
「その中身は買ってみないと分からない。」だから買いました。
結果ですが、確かに5万円は取り戻すことができるのかもしれないですが、それには、自身で、また別の買い物を10万円以上する必要があり、そのキャッシュバックだったりすることでしか得られない金額でした。
その教材を買うと、「指導フォローがついてくる」といった特典内容ですが、質問はチャットルームでの質問のみで、回答などほとんど却って来ることが無かったのと、本人からなどではなく、チャットルームの管理人がいくつかの質問にランダムに答えて、書き込むのがせきのやまでした。
その教材の広告は、ご自身の「ブログ」と「YouTube」でした。
これこそ
「ステルス・マーケティング」なのでしょう。
「広告の感じはない広告」であり、「無料でノウハウを教えるマーケティング」に付随する「有料ノウハウ」、これこそ「贅肉」をそぎ落とした後に現れる「真の姿」なのでした。
「Marketing先進国」アメリカ合衆国
アメリカでは、もちろん「マーケティング」の定義は確立されており、恐らく、調査に基づく、マーケティングコンサルタント顧問料金も細かく設定されてるはずです。
「Marketing」が販売されているので、そのマーケットが存在しています。
日本でも、コンサルタント企業は存在しています。有名な企業でいうと、例として、「船井総研」という企業があります。
一時期、その「船井総研」にコンサルを依頼している企業さんの下請け企業で仕事をさせてもらっていた時期がありました。
船井の担当者の「Aさん」の話しの内容、資料のつくり込みのきめ細やかさ、そしてなんといっても、Aさんの学歴、早稲田大学卒業というバリバリの肩書でした。
船井の創業者、船井幸雄さんの本も、山ほど読みました。言葉一つ一つに「人間力」を感じながら、読んでいた頃が懐かしい。
アメリカでのコンサルタントフィーが高いのはなぜか?分からないのですが、「それだけ出してもおつりがくるくらい儲かる」実績があるからでしょう。大企業が儲ける金額でコンサル料の何億円など、スズメの涙なのでしょうね。
「船井総研」のコンサルタント料金を船井の社長(幸雄さんの後釜)の本で見たことがありますが、びっくりしました。
「7000万円」という金額でした。「どんなコンサル内容」で「どれほどのビフォーアフターの粗差益が可能なのか?」など全く紹介されていませんでしたが、びっくりして、金額だけは覚えています。
「費用対効果」が得られているのであれば「存在価値」があるのでしょう。
そこでなのですが、日本で、「マーケティング」の定義すら確立されていなさそうな国で、コンサル料金、7000万円をカバーする粗利を計上する企業が果たしてコンサルされる価値を見いだせるのか?という気がしています。
実際、モノを売ったり、サービスを提供し対価を得るのではなく、
「マーケティングをマーケティングする」という商いが発生しています。
「企業を起業し、売り上げが上がる企業に育て上げ、バイアウトして金持ちになる」という手法はあったのですが、今は、ノウハウだけで、会社を起業することもなく、リスクもなく、「ノウハウのバイアウト」が出来ている時代です。
これは船井総研でも、インターネット教材を売る個人でも同じですね。
何度もしつこいようで恐縮ですが、持論を以て言えば「実態のないマーケティングという販売媒体」を販売していくマーケティングだと思っています。
今の、若い20代くらいの世代には、もしかしたらこのマーケットは受け入れられているのかもしれませんが、「マーケットのマーケター」という職業に50代のおっさんは、何となく「ケツのすわりの悪い」思いをしています。
今まで、「マーケティング」のマガジンを作り、12本も、マーケティングの記事を書いているのに、「マーケティングの定義」のような記事を一つも書けないでいるのがいいザマです。
あの新卒に向けて就職活動の際、面接させて頂いたA社の役員の方からの質問を受けた「マーケティングの定義」を聞かれた時の、あの「ケツのすわりの悪さ」をずっと30年間引きづっているからなのです。
「マーケティングのマーケティング」はこの国に根付いて、言葉として定義されるようになるのでしょうか?それとも、和多志が知らないだけで、もう定義は出来ており、その定義に応じて教材もきちんと整備され、このマーケットに出ているのか?
いつかどこかで出会うチャンスが有れば、また記事にしてみたいと思います。
今日も、此処までお付き合い頂き、有難うございます。
あなたの命ともいうべき時間をここに共有して頂き感謝いたします。
Masa
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