胸と気道と頭


感情にはそれに伴った身体の感覚がある


心理学に詳しい人がそう言っていた。

科学的根拠とかそういうことまで深く追求しなかったけど、私はそれに納得した。


私自身、感情に伴う身体的な感覚を実感してきた。中学時代から特に意識するようになった。

でも、自分と同じものを他の人が持っているかは知らなかった。

聞いたことでいままでの自分が間違っていなかったような気がしたから、信じることにした。


実際日常会話で不自然じゃない感情に伴う感覚の話って「緊張で心臓バクバクする」くらい。

「胸が苦しい」とか「胸が痛む」とか「息苦しい」って、自分は確かに感じているものなのに何だかポエミーな比喩みたいで、偽物みたいで実際には使えなかった。

どうやらその感覚は例えば「怒り」であってもその感覚が身体のどこにあるかとか、多少個人差があるらしい。だから、他の人と全く同じ感覚はないのだろう。


私は中学生の頃自分が否定される「息苦しさ」を覚えた。深く息ができなかったから学校にいる間は割とガチでしんどかった。

絶望して遺書を書こうと考えていた時期や自分の尊厳が脅かされた日の夜は「胸の痛み」があった。何をしても落ち着かないような鈍痛。

無気力なときは四肢が重かった。

焦っていたときは頭のどこかで何かが騒ぐような感覚。

恋が大きく動いたときは心臓が実際より小刻みに震えるような感覚。

そして今は、頭頂部でふわふわ、ぐるぐる考えが巡り、胸の中に何かがあって、気道から吐き出したい感覚。


私には負の感情の感覚が強く正の感情の感覚はあまり覚えていないという弱点がある。

演技で求められると足りないのがもどかしくて、やっぱり感情に本当の身体の感覚なんてない気がしてくる。



私が問いたいのは、言いたいのは、何だろう


「息が詰まる」と言ったあの子は本当に「息が詰まる」感覚だったのか?

これは頭にある。頭はあてにならないらしいから、違う。


あの日不意に言った「胸の痛みが和らぐ」はあの人にはどう聞こえていたのだろうか?

これは、胸にある。


これを読んでいる人は、みんなは、感情と身体の感覚のつながりを感じたことがあるのか?

これも、胸にある。

だけど、それよりも、


私のこの感覚を間違っていないと言ってほしい。

切実に、胸に存在して、吐き出したい感情だ。


【募金箱】病人ですが演劇も被写体もこれからやっていきたいです。サポートしてくれたらもっと色々できちゃうかもしれないので、興味があれば是非。