なぜ日本のスポーツは問題だらけなのか

日本のスポーツは転換期を迎えています。

次々に世間を騒がすスポーツ界の不祥事と、パワハラ的指導者の断罪。「ブラック部活」という問題提起。選手酷使や勝利至上主義を疑問視する声も年々高まっています。これらは日本のスポーツが生まれ変わる過渡期を象徴しているようにも思えますが、現状はそう楽観できるようなものではない気もするので色々と整理してみます。

部活動の功罪

日本のスポーツ指導は、部活動という枠組みのなかで主に教員が担ってきました。部活動の素晴らしいところはお金がかからないことです。部活動では、選手は指導そのものへの対価を支払う必要がありません。部活動のおかげで家庭の経済力に左右されずにスポーツ指導を受けられる環境が日本全国に整っていました。これはとてつもなく価値のある素晴らしいことです。

しかしながら、部活動は万能ではありません。部活動の制度的欠陥としては、

・指導の質が教員の個人能力に依存しており差が大きい

・スポーツ指導者以前に学校教員なので指導者組織のチームビルディングが難しい

などが挙げられますが、最大の欠点は「移籍のハードルが高すぎること」です。

試合起用の権限を持っている監督に対し、選手の立場が弱いのは常です。もともと不利な関係性にあって、選手が指導者に対して行使できるほとんど唯一にして最後の手段が移籍です。しかし、部活動では移籍できないので、望ましくない指導者にあたってしまったときは「我慢する」か「競技を辞める」かの二択を迫られます。

持続可能性が低い地域スポーツクラブ

部活動以外にスポーツ指導を受けられる場としてスポーツ少年団などの地域スポーツクラブがあります。これらは制度上、移籍のハードルは部活動よりかなり低いです。ただ、基本的に地域のボランティアが指導者を担っているため、運営基盤が弱く、担い手不足に陥りやすいという問題があります。無理なく通える範囲で活動しているクラブがひとつしかないような場合、実質的に移籍は難しいです。

部活動よりも悪いのは、指導者側に「辞める」という選択肢があることです。指導者の機嫌を損ねて「じゃあ辞めます」と言われてしまうと、困るのはプレーする場を失う選手側です。一方、ボランティアでやっていた指導者としては収入が減ることもなく全く困りません。地域スポーツクラブにおいても、部活動とはまた違った形で選手は弱い立場に置かれているのです。

部活動にせよ、地域スポーツクラブにせよ、指導者は選手に選ばれる立場になく、指導者間競争が生まれにくい構造があります。そして、指導者間競争がないことが、旧態依然の指導方法や勝利至上主義の弊害、ひいてはパワハラ的指導がなかなか無くならない原因ではないでしょうか。

とにかく儲からないスポーツ指導

地域スポーツの担い手が主にボランティアであるというのは、裏を返せば営利企業等の参入が少ないことを意味します。営利企業等の参入が多くなれば、多くの選手を獲得するためにチーム間、指導者間で競争が生まれることが期待されます。しかし、スポーツ指導というとにかく儲からない市場に多くの企業が参入することはこれからもないでしょう。

スポーツ指導がいかに儲からないのか、サッカーを例に考えてみましょう。

一人の指導者が同時に指導できる選手の数は何人くらいでしょうか。考え方は様々ですが、標準な指導者を前提とすると、多くても20人が限度かと思います。2つのチームを週3日ずつ掛け持ちすると1週間で40人指導できます。月会費としてありがたいことに1万円いただけると仮定すると、年間売上は40人×1万円×12ヶ月で480万円になります。年収ではなく売り上げです。しかもかなり楽観的な最大値です。このような規模では儲かる儲からないというより、そもそも指導者業のみで家族を養っていくのは難しいでしょう。

学習塾ではどうでしょうか。

集団指導塾を考えると、ひとつの教室で同時に指導できるのはだいたい40人です。60分1コマとすると、17時から20時までで1日3コマ。平日5日間で計15コマ分指導できます。月あたりコマ単価を5000円とすると、5000円×40人×15コマ×12ヶ月で3,600万円が年間売上です。生徒数を30人に抑え、コマ単価を3000円に設定し直しても、1,620万円です。

480万円と1,620万円でも実に3倍以上もの差です。ここから人件費含む諸経費を引いたものが利益です。利益は果たして何倍になるでしょうか。

国・行政がスポーツの課題を解決するのはもう無理

現在のスポーツが抱える課題を克服するためには、

・スポーツ指導者を職業として確立させて担い手を確保すること

・チーム間・指導者間競争を生み出すこと

が必要で、これを達成する最もシンプルな方法はスポーツ指導に税金を投入することです。

モデルとしてイメージしやすいのは保育園でしょう。国の基準では0歳児3人に対して一人の保育士が必要です。これを受益者負担のみでまかなおうとすると、保護者が年間で払うべき保育料は100万円以上になります。受益者負担に加えて税金を投入することで、保育園は多くの人が利用可能になっています。

スポーツ指導に関しても、月1万円の受益者負担に2万円の税金を追加すれば、480万円しかなかった指導者一人あたり売上は1,440万円になります。これならば参入する事業者もスポーツ指導を職業にする人も劇的に増えるでしょう。しかしながら、多くの人が直感するとおり、これは無理です。財源がないからです。

スポーツ指導に充てる財源がないのは、まさに「ブラック部活」のせいです。国や教育委員会は、公立学校の教員が時間外に行う部活動で行うスポーツ指導を「自主的な活動」として業務と認めず、まともな賃金を支払ってきませんでした。このため、部活動を廃止してスポーツ指導を地域のスポーツクラブに移行しようにも、一緒に移行すべき財源がそもそも存在しないのです。これはこれまで教員を半強制的にタダ働きさせていたツケです。ちなみに、文部科学省が進める部活動への外部指導員導入も同じ理由で難しいです。

現在の日本は人口減少社会です。スポーツ以上に深刻な課題を抱えている医療や介護や保育・教育を差し置いて、スポーツ指導へ大規模な財源確保を新たに行うのは不可能です。ここまできてしまったからには、国や行政が現在の日本のスポーツが抱える問題を根本的に解決することはもう無理なのです。文部科学省に任せていても、教員の負担軽減を図って部活動を存続させるのが関の山でしょう。

地域のスポーツは地域の手で勝ち取ろう

非常に残念なお知らせになりますが、国・行政による根本解決が無理ということは、国の取組によって全国一律に課題が解決されることはもうありません。自分たちの地域のスポーツを守れるのは、その地域にいる人々だけなのです。

地域社会全体で子どもたちが良質なスポーツ指導を受けられる場を守っていく文化を醸成する必要があります。文化を作っていくためには、その地域のスポーツに関わるそれぞれの立場の人が、それぞれに出来ることをやっていくしかありません。どのような主体がスポーツに協力的かは地域ごとに違うはずなので、地域スポーツの在り方もそれぞれでしょう。自分たちの地域のスポーツは自分たちで。教員や地域ボランティアの自己犠牲によって成り立つスポーツから脱却し、誰も犠牲にならない持続可能なスポーツへと生まれ変わるにはそれしかないのです。

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