空が青いと思ったのは
空が青いと思ったのは、祖母の葬式の日だった。
秋の初めの当日は、夏の暑さなんてどこかへ行ってしまうくらいの穏やかな気候で、親戚は口々に「おばあちゃんが過ごしやすい日にしてくれたのね」なんて言っていた。
亡くなった人がどう思っているかなんて想像するしかないけれど、そう思う事で悲しい気持ちを軽くしていたのだろう。
火葬場に向かうマイクロバスの中で僕は、祖母の写真を胸に抱きながら、ぼんやりと外を眺めていた。
幼いころから見慣れた、何の変哲もない風景。
祖母と一緒に歩いた事のある、舗装がまばらなその道をガタガタと揺られていく。
たまに歩く人がこちらを見て「ああ、葬式か」なんて顔をしていた。
きっと僕も逆の立場だったらそう思っている事だろう。
マイクロバスの中は思ったよりも静かで、最初は話をしていた親戚も、火葬場が近づくにつれて口数が減って行った。
火葬場は周囲に住宅のない山の中だった。
ぽつんと佇むその建物は僕が思っていよりずっと綺麗で、どことなく踏み入れがたい雰囲気を感じた。
マイクロバスを降り、火葬場の人と挨拶をする。
そうして中へと入り――棺桶に入った祖母と別れる。
先ほどまで笑顔でいた人も、祖母が奥へと運ばれて行くのを見た途端、泣き崩れた。
その声で、僕はようやく、祖母がいなくなった事を実感する。
ああ、いないんだ。もう笑ってくれないんだ。
そんな風に思って――無性に悲しくなって。
祖母が亡くなったとも、お通夜でも出てこなかった涙がボロボロと零れた。
ああ、もういないんだ。
頭の中に元気な頃に穏やかに笑っていた祖母が浮かぶ。
亡くなった後、祖母の遺体を見ていた時も、僕はまだそこに祖母がいるような気がしていた。
綺麗に化粧を整えて貰った祖母は眠っているようで、朝が来たら普通に起きて「おはよう」とちょっと寝ぼけた顔で笑ってくれる気がしていたのに。
けれど祖母はもういなくなってしまった。
本当に、もういなくなってしまったのだ。
火葬場で骨になるのがどういう事なのか、僕は初めて理解した気がした。
ここは人の死を理解するための場所だ。
気付いたら泣きじゃくっていた僕の肩を、母は優しく抱いてくれた。
そのまま待合室に行って、火葬が終わるのを待つ。
出されたお茶の湯気が、開いた窓の方から吹く風に揺れる。
泣きつかれた頭でぼんやりとそちらへ目を向ければ、そこには雲一つない、青く澄んだ空が広がっていた。
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