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終りなき夜に

「Miss Marple's Final Cases and Two Other Stories」に収録の「The Case of the Caretaker」という短編が「終りなき夜に生れつく」と同プロットらしい。
ミス・マープル版となったドラマはこっちを原作にしてるんだろうか。
いや、でもTwo Other Storiesの片方なら「The Case of the Caretaker」にミス・マープルが絡んでるわけではないのかな。
単に「プリマス行き急行列車」→「青列車の秘密」の逆パターンなのかも。

私はドラマを先に見た。真相にはわりと早く気づいた。 
映像作品は演出の意図を考えてしまって先の展開に気づくことが多い。だからって損なわれるものがあるとは思わない。
ああ、そういうことだ、と気づいたときの冷たい感覚も、想像通りに転落していく切なさも、代え難い体験だ。
まるで自分が殺したような感覚になる。

ドラマはあくまでもミス・マープルによる推理ドラマだから、小説より気づきやすい演出がされていると思う。
というか、気づかせようとしている、とさえ思う。
小説は淡々と乾いている。ドラマは冷たく湿っている。
どっちも好きだった。どっちの苦しさも好きだった。

ドラマは、途中まで母も一緒に見ていた。
これは見たらいいんじゃないかなと思ったので詳しい内容は話さなかった。もしかしたら「ネタバレしてもいい」と言われて教えたかもしれないが。
最初の重要なシーンは、間違いなく一緒に見ていた。
真相を知ってても改めて見る価値があると感じたのでそういう話はした。
その頃ポワロにしろマープルにしろAXNミステリーでしょっちゅう放送していたから、そのうち見たら、みたいなことを言った。

たぶん母はその後も見る機会がなかった。図書館で小説を借りたときも読む気力がなかったと思う。
私は本を読むのがそれなりに早く、大量に借りるタイプだった。母は読むのが遅く、目も悪くなっていて、読みたくても読みきれない感じだった。
その後、私は何かを楽しむことができなくなっていった。

「終りなき夜に生れつく」は近所の本屋でも売っていた。
有名タイトルを置かないわりにこういうのを置く本屋、そんな会話に覚えがある。
そういう会話ができていた頃もあった。
買っておけば。持ってた本を捨てなければ。持っていけばよかった。会いに行けたら。話を、せめて手紙を。
やらなかったこと、できなかったことばかり思い出している。
今ならできていることのすべて、何を今さらとしか感じない。
甘やかな喜びに生れついたように思うのに、終りなき夜に生きている。

夜ごと朝ごと
みじめに生れつく人もいれば
朝ごと夜ごと
甘やかな喜びに生れつく人もいる

甘やかな喜びに生れつく人もいれば
終りなき夜に生れつく人もいる

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