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死にたいと殺したいは同じようなもん

文章にすることで記憶に根づいてしまう部分もあると思っているので忘れるように書かないでおこうと思っていた。
でも吐き出したくなってしまった。

先月半ばに感情がコントロールできなくなって、なんやかんやあってから今は毎日の散歩を自分に課している。他にも少しずつ生きている。
今日は腹痛もあり雨もあり散歩サボろうかなと思っていたが、眠りやすくするために疲れたいのでなんとか外に出た。
知らんおっさんに話しかけられた。知らんおっさんの知らん家族だの仕事だの人生観だの中身のない話をまくしたてられた。とりとめなさすぎて理解が難しかったので雨音を聞いてた。
「あんたもこどもおるやろ。おるやろ? おらんのか! っはーーん」「それは楽やな。楽やけどつまらんな~」「おろしたんか? おろしたんちゃうやろ?」「こどもは作らなあかん!」
まあ、わずか数分の間に5億回くらいドン引きしたんですけれども、それより。
こうやって“人の心を踏みにじる可能性”を想像して思考停止することなく、土足で他人のパーソナルスペースを破壊できる人間が、強く生きられるんだろうなあ、と思った。
現に私のようなクソザコナメクジと違って生命力に満ちている。
他人に憚らず自分を優先し、自分の遺伝子の価値なんて無意味なことを考えず、勢いと成り行きで産んで増やしてそれらがまた社会適性のないクソザコナメクジを駆除していく。

特に強がりでもなく本音を言うと、傷つきはしなかった。自己に対する評価の低さと嫌悪感で知らんおっさんに負けるわけがない。
私のほうがもっとうまく私を傷つけられる。残念だったな。
ただちょうど最近、こどもとか結婚とかについて自分の考えを振り返っていたので、なんていうか、それを文章化する気が削がれた。
あと散歩もできずに無駄な時間を過ごしたのが悔しい。目標歩数に届かなかった。
一昨日、数年ぶりにテレビをつけて、今日またなんとなくつけたら夏場所の初日だったのでボーッと見ていて。歩かないんだったらさっさと帰って相撲を見たかった。
全体的に、なんか損した。すごく。

おっさんがどういう価値観を持っているのも、それを他人に押しつけてうざがられるのも、おっさんの自由だと思う。
タネまいて遺伝子残してるし、生物としての役割は果たしています。そういえば「男は男の仕事して女は女の仕事をなんたらかんたら」言ってた気がする。
全体的にいわゆる“前時代的”なおっさんだが、そもそも時代の移り変わりが速すぎると私は常々思っているので、取り残されてるものが悪いとは一概には言えないんじゃないかな。
数十年かけて培ってきた価値観をいきなり変えろって無理でしょう、アンパンマンみたいにほいほい頭部を差し替えられないんだから。
それ以前に“前時代的な価値観”よりも“現代的な価値観”が正しいわけではないしな。今に合ってるかどうかの違いでしかない。

さらに言うなら私はべつに自分が傷ついたわけでなくても簡単に「この人にはさほどの存在価値がないから処分しても構わんのではないか」と考える。明日は雑ゴミの日。
いらないものは捨てるでしょう。
でも私が人間で相手も人間ならものを処分するようには捨てられない。いくら価値を感じなくても知らんおっさんを処分するために労力を割きたくない。
そんなエネルギーがあるなら自分を処分するほうが早い。ああ捨てたい、捨てたい捨てたい捨てたい。何も持っていたくない。
まだ私を捨てたくない人がいるから私はクソザコナメクジなりに人間っぽく振る舞って生きながらえるしかない。そう、朝起きたり買い物行ったり食事したり掃除したり、散歩したりして。

私ね。なるべく散歩がんばろうと思って、久しぶりにがんばろうと思えて、しかも実際にがんばれていたことを邪魔されてムカついたわ。
そのムカつきを文章化する過程で、二時間ほど私を沈めていた鬱の波が引きました。リラックス系のBGМも効かなかったのに今は涙が止まって精神も落ち着きました。
怒りを消し去るのではなく適度に利用するといい。怒りで死にたい気持ちをぶちこわせ。

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