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人に届けたい言葉と態度の集め方

1ヶ月前のことだが、台湾の小琉球という島に行った。


観光客はほとんどいなく、原付に乗れば30分ほどで一周できる。ウミガメを目視できるほど綺麗な海に囲まれた島。

野良猫は町みんなで飼ったり(お金を出すことができる家皆でエサをあげたり去勢手術をする)、マイバッグもマイタンブラーも普通、という素敵な意識が根付く島。

東京とは180度違う、どこか楽観的で陽気で、のんびりした空気が漂う場所だった。

通り道だった首都・台北は、見た目やあるものはほとんど東京と変わらない場所。

電車も新幹線も、ほとんど日本とシステムは変わらないし、標識をたどっていけばすんなり乗れる。ご飯も日本の味に近くて食べやすい。

ただ一つとても気になるのが、とっても歩きにくいこと。

台湾の方、おおらかな性格のようで駅構内を縦横無尽に好きなペースで歩いており、いきなり変な方向から人が横切ってこともしばしば。

つい日本の駅を思い出し、自然に左通行になったり道ができている様子を想像して、無意識レベルの歩み方にこんなにも差が生まれるのだと驚いた。

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私が大事にすることの一つに、心から"素敵だな"と感じる言動が集まる場所に身を置かせてもらう、というこだわりがある。

少々上から目線な表現だが、「その場所の人たちが無意識にとるような行動(いわゆる、カルチャーのようなもの)」「その場所の人たちが使う言葉」に影響を受けたいか?を問うことにしている。

方言を話す人と長い時間一緒にいたら自分もちょっとなまってくるように、私が台湾に住んだら縦横無尽に歩いているだろうし、自分の居場所に根付く言動がちょっとずつ無意識に、時には人から言われないと気づかないレベルの変化が自分の中に重なっていくものだと思っている。

だからこそ、私も手渡したいと思う言動に、日々触れていたいし自分の言動を丁寧に選んでいきたい。

理想とする態度や言葉を使いこなせても、誰かを傷つけてしまうことも悲しまてしまうこともある。
人の心は単純ではなく、いろいろな外的・内的要因によって、同じ言葉でもその時々で捉え方が変わったりする。

それでも、"ちょっと相手を思いやる態度"さえあれば、時を経てその態度や言葉がポジティブによみがえったりもする。


ふとした瞬間に、自分が掛けてもらった言葉たちがしっかりと自分の中に刻まれていると思う瞬間がある。

・「できると思うよ」と私よりも私を信じてくれたひとのおかげで、自分を力を信じることができた。そして、私も周りの人に対してそう思えるようになった。
・いつも仕事を楽しみながらチャレンジし、「仕事も子育ても結婚も、楽しいよ」と目を輝かせる上司のおかげで、未来の何かを諦めなくてよさそうだ、とワクワクできるようになった。
・「心身ともにしんどい」という言葉を受け入れて、「休め」とすぐにフォローしてくれたひとのおかげで、周りの人を信じて助けを求められるようになった。

人から掛けてもらった言葉・態度たちは、その後同じような状況に遭遇したとき、必ず私の頭の中をよぎる。
そのときは、「ありがとう」と心の中で思いながら、またほかの誰かに今まで自分は受け取った言葉や態度を届けるようにしている。

こうやって自分の態度の選択肢が増えていることがわかると、どうやら自分の歩み方は間違っていなそうだ、と少しばかり自分を褒めながら、日々を重ねている。

(↑お家に入りたくてドアの隙間をのぞく小琉球の島猫)

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