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この人は果たして”存在している”のか?

12/21です。
おはようございます。

今日は少しスピリチュアルな話をしたいと思います。
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僕のnoteにはよく登場する”ソウルメイト”と呼んでいる親友がいます。

たまにあってご飯食べたり、山に行ったり、海に行ったりして
その帰りに車の中で話をするのですが

だいたい4時間を超えます。

しかもほとんど概念的な話です。
唯識論の話(この世の認知の仕方)、占星術、ナンバーの話、などなど
僕らが好きなことはいわゆる”普通”、”一般的”と呼ばれる
彼氏彼女がいることが幸せ、お金もちが幸せとか、バイトがしんどいとかそういう話は一切興味がないんですね。

特に僕は”そもそも”が口癖で真理追求というか
不可解なものを不可解にしておけないたちなんですね。
それとこのnoteのどこかでも書いたかもしれないですが無駄も嫌い。

そんなことをまた話すのは文字数を打つ手間と読んでくださる方の時間を奪う点で無駄なのでやめよう。

僕はその子と話すときものすごく不思議なことがあるのです。

この人は果たして”存在している”のか?
という疑問です。

確かに目には情報として入っているのです
僕より少し背が低くて、インド風なぱっちりくっきりな顔
情報としては見えるのですが
この人の本体はいったいどこだ??

不覚にも新八のメガネを想像してしまった。
違う違う。

僕が好きな唯識論は空海の『空即是色 色即是空』が表すように
全ては意識が作り出しており、個人的な見解なのでその意識を無視すればそのものは存在しなくなるという。

まだまだ体現しきれていないので全然わかっていないのですが
この世界の認識の仕方のスーパーロジカルの境地であり
僕の鬱、希死念慮から解放してくれた理論です。

さて彼女は果たして”存在する”のか、、、
僕の見え方としてはその体は”箱”でしかなく
その本体は彼女は言語化特性が強いので”言霊”を得意とする魂なのでは?
と思えてなりません。

車の中で話しているとき議論が白熱 /
議論とはいってもほとんど彼女が放つ明快な言語認知に対して
客観的な意見をひたすらに述べてみる実験をするだけなのですが、、
/すると途端に彼女の実像が認識下でブれるんですね。

目が霞んでいるわけではないのです。
認識がブレる。

この正体はいったいなんなのか。
どこかのタイミングで消えてしまうのか?
そんな普通はしない不安がある。

ただ僕がこの意識になるとき、かなり天空から見下ろすようなメタ認知の
領域に意識が飛びます。
車を空から見下ろしているような視点、、、。
それと決まって普段では発揮しない
ロジカルシンキング、言葉の数(世界認知の点/座標)を発揮している。

これは実証し得ない仮説なのだけどもしかしたらそのとき
完全に彼女と自分を同一視して
自己内省の極致なのでは?と思う。

彼女の発する言葉(座標)を材料に彼女をみているようで
自分を見てる。

この不思議な感じ。

そのあとはすごく気分がいいし
妙に今存在する空間に納得できている自分がいる。

まだ死なずにすむんだな。

いつもありがとう。

12/21 am6:52

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