めがね
ここ数年、めがねをかける機会がふえてきた。
子どもの頃から何でもよく見えてきたので見えているということが
ありがたいことだと気づかず過ごしてきた。
遠くはあいかわらずよく見えるが近くのものが見えずらくなってきて
見えるというありがたさにようやく気づけた。
めがねをかけるようになってふと考えたこと。
それは’ものをみる’ということについて。
めがねはものを見るための道具なのであって
それ以上でもそれ以下でもない。
どんなめがねをかけて何を見るのかはかける人によるよなあ、と。
どんなめがねをかけるのも自由だ。
その上で、
めがねをかける人が何を見ているのか。
見たいのか。
見ようとしているのか。
見えたものをどのように捉えるのか、感じるのか。
そして何をするのか。
みるということは、ほぼ主観的だ。
色めがねだって使いようだと思う。
日常の景色の色が変わるだけでちょっぴりちがった世界を眺められる。
そしてちょっとした非日常感にワクワクした気分になったりもする。
ただ、何かを見極めたいというような時には適さないのかもしれない。
たとえば人を見るとき、色めがねや曇っためがねでは
そのフィルターが勝手にイメーを描きだしてしまうこともある…。
使い方を間違えないように、と思う。
見すぎて迷いが生じた時は、めがねを外して
しばし目を閉じてみよう。
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