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バイオリン奏者として自己分析

なぜ僕はオケに普通のエキストラ出演の話が来ないのか
なぜ複合コンマス業だと好かれるのか
なぜイベント演奏で好かれるのか
なぜレコーディングの仕事が絶え間なく来るのか

僕は顔はモブキャラであり、オーラもない。妻に言わせればかなり一般人の臭いがする。どちらかと言えばオーケストラの奥の方で演奏して、どこかのレッスン教室に雇われの身で安く教室の肥やしになってそうな男なのだが、

なぜそうなっていないのか、
そして、なぜ「その他大勢」のような仕事を依頼されないのか、という自己分析です。

なぜ僕はオケに普通のエキストラ出演の話が来ないのか

これでも元プロオケメンバーであり、一応オーディションに受かって入社し7年間オーケストラばかりやっていた人間です。その辺のフリーランス奏者よりよっぽど数もこなしいろんな対応が出来るはずにもかかわらず、オケを辞めたあと、オケのエキストラ出演の依頼が来ないのです。喧嘩別れではなく、希望退職だったのですが。

実は、依頼は来るには来ていたのですが条件が悪いとすぐ断っていて、客演コンサートマスターや効率よく稼げるオケ仕事に絞って依頼を受注していました。

なぜそうしていたかというと、

①エキストラ出演より自宅レッスンの方が稼げる。
②なぜオケを辞めた?その意味を考えろ。
③コンマスはギャラも良く、しっかり仕事をする意味も濃い。
④自分が雇う側だった頃、エキストラ奏者たちをどう見ていた?自分は正団員に対してヘコヘコ出来るか?それでいて、薄謝で常に監視される側になれるか?

という考え方があったからです。
お金のためとは言え、お金のために嫌な思いや腐る自分の心が生まれるのであれば、レッスンを強化した方が良い、と考えたのです。エキストラ出演の方には毎回呼ばれるような「常トラ」がいましたが、その人たちの生き方は僕には決して真似できないと思ったのです。

このようにしていたら、いつの間にかオーケストラ関係の仕事はほとんど来なくなりました。この考え方は友人にもたまに話すせいか、そういう有志オーケストラにも呼ばれなくなりました。

オーケストラの曲は好きですが、オーケストラという給与体系はコンマスなどの自分を奮い立たせる役で無ければダメな身体になっていたのです。たとえ引き受けても終わるまで妻に愚痴を言ってしまうでしょう。

何のためにこの仕事をしているのか。

なぜ複合コンマス業だと好かれるのか

人徳もそこまで無いのでコンマス業もさほどは入ってきません。
少し小さなプロオーケストラに客演で何度も依頼をいただいた経歴もありますが、オーケストラも方針が変わり、潰れたり全国のプロオーケストラのコンサートマスターを客演で呼んだりするなど変革があれば、私の席はなくなります。

いままともにコンサートマスターをしているのは、依頼によって毎年有志でチームを組むオーケストラのみ。ここでは普通のクラシックはほどほどに、僕がアレンジをした楽譜などで合唱団の伴奏したり、経理から何から全て僕が担当運営をするものに限られました。

つまり、なんでもやれる、こなせるという能力が買われてるのです。
優れたアーティスト、優れた肩書き、というものからくる依頼では無いのです。

有象無象のフリーランス奏者をまとめ上げ
主催者とのやりとりや企画も奥底までかかわり
コンサートではオケと指揮者の橋渡し役をし
オーケストラの経理を全てやる

こういう仕事に向いてるんだなぁ、と。

なぜイベント演奏で好かれるのか

オケの大勢のバイオリン奏者ではなくイベントで呼ばれて喜ばれる理由。
それは、かしこまった事が出来ないからなんでしょう。
おとなしくイスに座って言われたことこなすことが出来ないからなんでしょう。

落ち着かない子ども
余計なことをしてしまう子供
聞き分けのない子供
イラズラ好きな子供

まあ、どちらかというとそういう困った子供でした。
もちろん親にも何度も何度も怒られました。

基本的にその精神は、変わることなく大人になってる訳です。そりゃプロオーケストラのテュッティ奏者のような生き方は根本的に合わないわけです。在オケ期間は一年中口内炎や謎の咳に悩まされて、ワクチンを打ってもインフルエンザに何度もかかり、帯状疱疹のような病気にもかかる。

就職した先が安給料オケでしたが、おそらく有数の実力派オケでも同じだったのだろうと思います。給料の良いオケに就職しても、その中の社会で人間関係と仕事スタイルにストレスを抱えながらも給料が無駄に多いから辞めるに辞めれず、ずるずる定年まで仕事をしていたと思います。(じゃあ、そういうオケに入ってからもの言えよっていうのは今回は無しね)

フリーランスのようなレベルがごちゃごちゃの中で全国的に名前がない寄せ集めのオーケストラのコンサートマスターでも、私にはそのほうが気持ちよく仕事ができるんでしょうね。オケのレベルではなく生き方が大事で、その後ろに給料がついてくる。

話はだいぶ外れてしまいましたが、イベント演奏はそういう中では関わり方次第でかなり自分本位で仕事ができるのです。プログラムの構築、MC、主催とのやりとり、時間管理など、他の奏者が嫌がりそうな雑多な仕事、演奏以外の仕事を多くすればするほど、やりがいが強くなり、演奏者目線でさまざまな雑務をして、よくわからないことを全部僕に投げることが出来てイベントはちゃんと成功する結果を出すので、次の依頼がかなりの頻度で来る。

イベント演奏などでMCができない仕事、MCがアナウンサーなど他にいる仕事は、少し調子が狂ってしまう感じもあるほどです(別に僕の喋りは上手くないです)

要は普通の奏者が考える職人ような仕事像
「しっかりと練習して、ミスのない演奏をする」

では満足が全然できず、どこか物足りなさがある上に、上司や同僚のようなものからさまざまなことを言われて精神を揺さぶられる環境は、僕には苦痛だったのですね。

「遊びだからこそ、本気になれる」

仕事は、きっと遊びのように本気になりたいんだと思います。
お金をもらうその意味は、辛いことではなく本気になった代償。
でないと、言われたことをただただこなすだけでは、潰れてしまうのでしょう。

そうやって考えると、回り回ってものすごい給料だったら良かったのかもしれませんね。ただ、さすがにそれを叶えるだけのオーケストラ入団用の技術は持っていない。

それなら、どう生きていくか。

それが今の答えのような気がします。

なぜレコーディングの仕事が絶え間なく来るのか

ほとんど全てネット完結させてもらってるので、見た目年齢って仕事には影響ないのは助かっている・・・思ってます。写真はたびたび掲載しているのでおっさんだということはバレて閉まっているのですが、年上の方から年下、若い女性クリエイターからも依頼がきていることで、リアルよりも幅広い年代の方に一定の支持をいただいている。

そう感じます。

年齢によるハンデがあるとすれば、喋り方や対応があまりに「こなれた感じ」が強く出てしまうと、相手にとってちょっと失礼にあたることがあるんじゃないかって時々不安になる時があります。

仕事ぶりとして、自分の与えられた環境として、最善を尽くす。納期や要望にきちんと応えてサービスを考え、タスクをしっかり管理するだけで、今や昔のプロオケ時代より年収が上がるのは面白い話ですが、これがオケマンではなく個人として必要とされてる仕事を一生懸命こなしている結果なのかな、と思います。

世の中の流れが変われば仕事の量も減るだろうし、SNSなどで変なことを喋ってたりすれば信頼を失い困ったことになるかもしれない。ある程度は気をつけていますが、それは仕方ないことだと思ってます。

自宅レコーディングの仕事は、ステージパフォーマンス以外のスキルではかなり総合的な自分の能力や環境を活かせる仕事ですので、上手くいっていて助けられてます。

演奏者として

これからどのように変わっていくのか、僕自身そこまで深くは考えておらず、日々の仕事をこなしつつ、ゆっくりと何かに変わっていくんだろうなと思ってます。

何か気になったことに挑戦してみる、というのは相変わらずやっていますが、そのタイミングって今考えてもわからないし、何もわからない。

結局、何者になったか、全くわからない。
職業として、何も安定していないのです。

多分、バイオリンは弾いてるんだろうな、とは思いますが。

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