私たちがコロナウィルス

人それぞれのコロナがあり、私はどちらかというと陰謀論の方が正しいのではないかと思っている派。でもそれは思い込みかもしれない。というか、思い込みである。いいのか悪いのか答えは永遠にわからない。

人生もそうだけど、起こってしまった事について、自分に都合が悪いかどうかで決めてその対処をしていないだろうか。これは悪い事だった、これはいい事だったと決めるのは私達だ。一旦悪い事ととらえて対処したものの、次に起こる事でその判断が真っ逆さまに変わる事がある。

わかりやすい例は、飛行機に乗り遅れたらその飛行機が事故にあったとか。良く聞く話でしょ。運が悪かった、と思っていた事が真逆になった経験はあちらこちらで起こっている。

あなたが死なない限り、時は続き次の事は起こる。そしてそれは永遠に起こり続ける。

だから、悪いことが起こっても、大丈夫。精いっぱいの対処をして、果たしてこれがずっと、『悪い事が起きた』との認識で続くのかな、それともいつか、これが起こってよかったと、思える日が来るのかなと。

確率は50/50で、そう低くもない。とてもフェアだ。というか、もう悪いことは起こったと思っているのだから、今以上へこまないし。

すぐに答えをくれないのがこの世の仕組みだけれど、後々に起こったことの数だけ、答えは『とてもよかった出来事』と『とても悪かった出来事』との線上の間を少しずつ動いてるかもしれない。そう思うと、少しわくわくしてくる。

本を読んで自己啓発しても、頭の中でわかっているだけで、人間、人類はやはり経験して腑に落とす事しかできない。

人生は自分ではコントロールできず、どうなるか自分で想像もできない。

私たちはもともと1つのもので、それは人類というくくりだ。

今は極端に個人のくくりになってしまったが、人類という大きなくくりでものを見ることができる人が減ってしまったらまた地球を壊してしまう。

私たちはコロナウィルスの構造に似ている。真ん中の大きい球体が人類という大きな部分で、その周りにびよんとのびるのが私達で、私達の自我だ。その突起した先に丸くなってくっついているものが、両親にこうやって生きなさい、こうすると恥をかく、こうやったら幸せになる、といった、他人から与えられたこの時代の社会の常識レイヤーだ。

この常識や偏見、いわゆる思い込みを整理していく時が来た。地球や人々が聞こえないSOSという悲鳴を上げていて、もう待てなくなったのでコロナが起きた。

私たちは、これまでに与えらえてきたこうすべき、という常識が全て正しいものなのかを今確認しなくてはならない。時代は変わり、常識の中には通用しなくなってきたものも多々あり、これまでの常識の中には、自殺者をたくさん出してきたものもある。生きやすくするためのものが、死にたくなる気持ちにさせるなんておかしい。

日本人は素晴らしい。でも時代に合わない常識のレイヤーの重さに耐えきれなくなって、人類の球体から伸びた線を断ち切ってこの世から去る必要はない。球体の部分は愛で満ちているはずなのだ。

人を、物を、起こったことを決めつけて他人や自分を苦しめるのはやめていこう。だって、時と共にその価値観は変わっていくのだから、決めつける事に全く意味はない。

あなたは自分がいつも自分で決めつけている事に果たして気が付けるか。それは大切な気付きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?