一撃で支配される、魅惑の音声 800文字ショートショート 97日目

「野中ちゃん、外線から連絡あったよ。電話番号控えておいたから折り返しお願い」

休憩から戻り席についた途端。織原さんが間延びした喋り方で私に付箋を差し出した。汗っかきでいつも掌が湿っているせいか、すでにしおれた花弁みたいにくしゃげていた。

滲んだ数字の羅列に眉を顰める。かれこれ何十回と断っている求人広告の会社の番号だ。下桁が私の誕生日と一緒で嫌でも覚えてしまった。

短時間で働いているパートさんを責めるわけではないけれど、そろそろ営業のあしらい方くらい覚えてくれてもいいのにと呆れが息に乗った。

暗号に近いカタカナの文字を舌で転がす。

スメラギ。

対応したことも、見覚えのない名前だった。

番号を押す指から棘の蔦が伸びていく。意味もなく右手に持ったペン先を何度も叩いて押し出す。半コールで上がった受話器の音に足を組みかえて、けだるく構え、

「ありがとうございます。治薪エージェンシー、スメラギでございます」

激しい雷が鼓膜を刺激し、瞳に火花を散らした。電話を通した声は約四十三億種類もパターンが用意されているらしい。登録された声に似た音が選ばれ、鼓膜を揺らすのだけど──私はこの声を誰よりも知っている。

唸るような嗄れた喉の震え。遠吠え前の低く艶のある息遣い。くぐもった甘い言葉尻。

受話器を握る左手に力を込める。気を確かに持っていないと落としそうで怖かった。

私の求める声そのものを、向こう側に座る男の喉に宿っている。

──欲しい。

会ったこともない男に、強い支配欲が生まれた。どうしてもこの男の声が欲しい。会って、確かめて、傍に置いておきたい。人形姫が契約を結んだ魔女のように、我が物にしたい気持ちがせり上がっていく。

誰にも渡したくない。雷の痺れが脳漿に走り、髄の奥まで放電した。

「おでんわいただいた、のなかですが」

絶え絶えの返答に不自然さを演出しないよう、ぶっきらぼうに答える。脳内に溢れる邪な感情が、どろりと伝っていった。

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