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永日閑論

    一

 題は「閑論」でも、書く事柄

は必ずしも「閑」ではないつも

りである。

 扨て今日は經濟人の文筆と

いふことを考へてみたい。文

筆専門家以外の人の書くもの

には仲なかいいものが多い。

一時、雜誌「文藝春秋」が、さ

ういふ人びとに随筆を書かし

て好評を得たが、手近いとこ

ろでは越後タイムスの如き、

その好例である。先年、時事

新聞記者をしてゐた友人に越

後タイムスを見せたことがあ

つた。彼は一讀して「この新

聞は大いに變つてゐる。地方

新聞は總て鋏と糊との仕事だ

が、これにはその片影も認め

られない、」と云つて甚だ感嘆

してゐた。おもふに彼の見聞廣

からざるために地方新聞と云

へば直ちに鋏と糊とを連想す

るのであらうが、タイムスの

新聞にして然も新聞臭さから

ざるその記事の大半が、文筆

渡世家に非ざる人びとの文章

なるが故に、たとひ稚拙とは

いへ、容易に得る能はざる一

抹の香氣と一掬の新鮮味とを

湛江てゐる點に一驚したので

あらうと思つた。

    二

 財界人、實業家などが文章

を書くことは、勿論餘技であ

つて、然も他の道樂に比して

遥かに高尚である。自分は常

に注意をして、これらの人び

との優れた文章や思想に接し

やうと念じてゐるが、最近ダ

イヤモンド社から出版せられ

た、福澤桃介氏の「財界人物

我觀」なる一書は非常に面白

く讀んだ。この書に収錄せら

れてあるものは、既に雜誌「ダ

イヤモンド」に連載されて、

好評を博したものである。論

じてある人物は、岩崎彌太郎、

荘田平五郎、益田孝、小菅劍之

助、川田小一郎、三井八郎右衛

門、先代安田善次郎、團琢磨、

原田二郎、豊田佐吉、鬼頭幸七

小山健三、各務鎌吉、片岡直輝

金子直吉、佐々木勇之助、辰馬

吉左衛門、山下龜三郎、の十八

氏であつて、ご承知の通り何

れも財界の巨額或は實業界の

大立物であり、或はあつた人

々である。

 福澤氏位の人物になると、

どんな名士に對しても思ひ切

つた批評ができるので、その

人物評は生きてゐるし、非常

に興味がある。氏は最早財界

から隱退して、觀世音を念じ、

茶道に沒頭してゐるとのこと

であるが、その文章や批評眼

は生氣潑溂として銳いものが

ある。本書人物論中、何れの

篇も面白いが、就中、益田孝、

安田善次郎、川田小一郎、辰馬

吉左衛門、各務鎌吉、金子直吉

鬼頭幸七、山下龜三郎論の八

篇は興味津々たるものである

これら俎上の人物は今でこそ

財界の大立物ではるが、一

二名門出の人を除けば、悉く

裸一貫から築き上げて、粒々

辛苦の實を結んだ人々ばかり

である。出世の榮逹を希ふ吾

われは常に偉大なる先人の道

を學ばんとして、彼らの傳記

を熟讀する。それらの傳記は

吾われに何を敎へてゐるか。

時代の距離もあらう。運もあ

らう、背景もあらう―吾われ

は決してそれらのものに卑怯

な口實を設けてはならない。

吾われの血肉となすべきは、

只ひとつ彼らの實行せる勤儉

勉勵あるのみである。更らに

もう一つ見逃せないことがあ

る。それは信仰である。信仰

には小六かしい理屈は禁物で

らう。吾われは、自分だちの

安全と榮逹を護つてくれる祖

先の遺靈並に家神に對して、

朝夕感謝の禮拜を爲すことだ

けが最も强い純粹なる信仰で

あらうと思ふ。著者福澤氏が

不斷の勤儉勉勵と信仰とが成

功の基礎であると結論してゐ

る事は、甚だ平凡ではあるけ

れども、吾われの最も注目を

要し且つ肝銘すべき點である

 本書は著者の好尚に從つて

主として一風變つた人物をの

み解剖してゐる。財界、實業

界にはまだまだ多くの、俎上

にのせて面白い人物があるこ

とと思ふ。著者も亦後日機を

得て稿を續ぐさうである。自

分は今からそれを期待してゐ

る者である。(昭和五年三月稿)


(越後タイムス 昭和五年三月三十日 
    第九百五十二號 三面より)

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※見出し画像は 加藤タカシさん作、引用元(キリヌケ成層圏
 を使用させていただきました。(岩崎弥太郎)



        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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