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一錢亭雜稿(その二)△姓名判斷△

 近頃では大分廢れたやう

であるが、ひと頃、姓名判

斷といふものが流行して、

相當社會的地位の高い、敎

養もある人までが、折角、

苦心して親がつけて呉れた

名を捨てて、いやに四角張

つた、振假名でもせねば讀

めぬやうな名に改めた時代

があつた。東京の街を歩る

いてみると、表札の姓名の

左下の隅に、小さな字で名

だけ書いてあるのは、殆ん

どそれである。緣日の夜店

などで、兇刄に倒れた偉人

などの實例をひいて說明し

てゐるのを聞くと、なるほ

どと筋道の通つた話に感心

するが、さてそれでは姓名

判斷によつて改名した人が

皆うまくいつてゐるかとい

ふ點になると、はてなと思

ふ事が多いのである。親の

付けた大切な名を敢て變へ

やつと決心する位だから、

どうせその人の生活行路に

は、定めし不如意なことが

あるに違ひない。

 易斷とか、非似信仰とか

姓名判斷とかの職業として

成立つ狙ひどころは、ここ

にあると思ふ。

 私の知人で、懸命の努力

をしてゐ乍ら、どうも仕事

にいい芽が出ず、腐り切つ

てゐた人があつたが或る時

姓名判斷師に觀てもらふと

その人の姓名は朝寢坊で、

女好きだから駄目だと、そ

の通りの圖星を指されたの

で、思ひ切つて改名したと

ころが、不思議にも、その

翌日から、その二つの惡癖

がけろりと直つて別人のや

うになつたさうである。

 さうして、これがきつか

けとなつて、勿論、その人

の並なみならぬ努力と、時

流が幸ひしたのではあらう

が、めきめきと運が向いて

それ迄は或る小さな會社の

一販賣係員であつたものが

數年後には、華ばなしい軍

需品製造會社を三つも統率

する社長になり、今では相

當の資産も出來たやうであ

る。

 これは私の知る限りでの

姓名判斷の成功した、只一

つの實例であつて、その他

は改名後の成果が、どうも

曖昧なものが多いのである

だから私は、その人から姓

名判斷の効能をきかされて

も、それは强ち名を變へた

ためではなく、姓名判斷師

から指摘された、二つの大

きな惡癖が矯正されたのが

最大の理由だとしか考へら

れなかつたので、私の姓名

がいろんな點で缺陥があり

さういはれて見ると、悉く

肯綮に値するものがあるの

だが、私の惡いところはつ

とめて自分で改めることに

して、名を變へるまでの決

心はつかなかつた。然し私

は姓名判斷といふものが、

一種の統計學的な、歸納法

的なものである點と、前掲

の實例でも分る通り、人に

更生の動機を與へるところ

に妙味を感じたので、私自

身の名を變へる代りに、私

の子供には、三人まで姓名

判斷で良いといる名を付け

た。ところが、長男も長女

も醫者が首を傾けるほどの

重病を患つたが、運强く助

かつたのに、次女は五歳の

雛節句の前夜、一夜の急病

で死んで了つた。私はこれ

で姓名判斷による命名をや

めて、次の二人の子供には

私が勝手に考へた名をつけ

ることにした。

 姓名判斷といふものが、

どれだけ實際的に權威のあ

るものかを、私は、自分の

子供で試してみるつもりで

ある。(昭和十七年十一月九

日稿)


(「柏崎」會報No.18
 昭和十七年十一月十五日發行 より)


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