「王友」第七號 編輯後記
× × ×
随筆について―――
随筆欄に収錄した八篇は、必ずしも随筆と呼
ぶべく適切なものばかりではない。筆者に向か
つて、どうぞ随筆を一つと云つて賴んだ譯では
なく、集まつた原稿の中から、他の部内に収め
るのには不向きな、先づどちらかと云へば随筆
くさいものをといふので、吾われ委員が選出し
たに過ぎないからである。
凡そ随筆と稱する以上は、少くとも筆者の風
格が滲み出てゐて欲しい。靑嵐子氏の「庭球生
活の二十年」は、その意味で出色の出來であ
る。江南氏の「上海の支那新聞」と粤南子氏の
「廣東奇習」は共に支那の地方色を覗つて鮮明
である。随筆としてはいゝ安打である。只前者
の原稿には新聞の發行部數を明記してあつた
が、これは遠慮せよとのことだつたので訂正加
筆した部分がある。その爲めにこの文章の面白
味が非常に減殺された。筆者の御諒怨を乞ふ次
第である。
明かに指摘はしないが、一二甚だ憂鬱な文章
がある。こういふものは「王友」には不適だと
思ふ。次號からはこの種の原稿はごめん蒙りた
い。工場在勤の諸氏は夫ぞれの地方の特色を描
出して、朗らかな氣分で書かれたら、相當面白
い随筆が讀まれるだらうと思ふ。次ぎの本誌の
随筆欄はこういふ作品で充滿させたい。諸氏の
御随筆に期待する次第である。(菊池義夫)
(王友七號 昭和八年十二月二十七日發行
一二九頁より)
紙の博物館 図書室 所蔵
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