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秋 ぐ さ (五)

 秋 ぐ さ (五)

 ――續稿―― きくち・よしを


 吾木香われもかうすすきかるかや秋くさのさび
 しききはみ君におくらむ

 昔の若山牧水はこういふなつか

しいうたをつくつた。自分は信濃

高原の秋くさのなかにこもつて、

そのうたをいくたびも口ずさみ乍

ら、のぞみなき愛戀の思ひに日ご

とにやせよろめいてゆく自分のこ

ころを、哀しくいとほしむばかり

であつた。

 心をこめて秋くさの淋しさを思

ふひとにおくるよりは、

 さまよひくれば秋くさの
 ひとつのこりて咲きにけり
 おもかあげみ江てなつかしく
 手折れば苦し花散りぬ

 この佐藤春夫のうたのやうに、

ひそかに自分の哀しみをいだきし

めて、この淋しいひろ野の果てに

このまま、ひと知れずこの世を去

つた方が、どれほど自分にはふさ

はしいことであらうとも思つて泪

ぐんだ。

 ふたりはふたたび山路をのぼつ

て行つた。莫哀山荘のかたはらの

林のなかに分けいらうとすると、

ふと眼にとまつたのは、花とも思

はれない、あの水引の花であつた。

古い農家の窓べに赤いたすきをか

けて、ものういひびきを立て乍ら

紡車をまはしてゐる、ひとりの

素朴な、きよらかな乙女にも似た

さびしいやさしさをその水引の花

にたとへてみた。自分たちはその

ひとすぢの赤い糸のやうな花を、

いとしくながめやつてゐるうちに

しんしんとこもる樹蔭のしめやか

さに、ついうとうととまどろんで

しまつた。

 夜がきて、あの山の家々の

窓が、ぼうつと明るみはじめるこ

ろともなれば、夜そらは蒼ぐろく

澄みとほつて、きらきらと星もま

たたくであらう。月ぐさも仄かに

ひらきそめるであらう。すすきの

穂さきをそよがせて秋の夜風も吹

きすぎやう――さういふ高原の夜

の風景をなつかしみ乍ら、ふたり

は山路をくだつて、街裏のほそい

野路の黄昏を歩るいた。ふたりの

からだに秋ぐさの淋しい匂ひがし

みて、いつまでもなつかしくかほ

つた。

 ふと、夕暮のせまつた碓氷の山

々の空をみると、いちめんに灰い

ろの雨雲が、ふかぶかとたちこめ

て、いまにもひと雨きさうである。

その雨雲はだんだんと深く山すそ

の方までもけぶらせて、かすかに

遠雷をきくほどになつてしまつた

 自分はそれをみて、この高原の

夜にこもることを哀しくあきらめ

た。さうして、雨の降りこめない

うちにと思つて、野に分けいり乍

ら、摘めるだけの秋ぐさを摘んで

たばにつくつた。

 萩、おみなへし、すすき、なで

しこ-さういふ秋ぐさの淋しい花

束と、ふたもとの月ぐさをぬきと

つて、自分は、ここから妻の鄕家

へゆくといふひととも別れた。

 碓氷峠をくだつてしまつたころ

ふと窓をあけて空を仰ぐと、あの

深く山をとざしてゐた雨雲はあと

かたもなくぬぐはれて、秋らしく

はれ澄んだ夜空には細い月が冴江

て遠かつた。-みかつきの眉根の

どけしけふの夜はいもが眉根を戀ひ

つつぞ居る(佐藤春夫)-さういふ

うたを思ひうかべるにはあまりに

冷たい月空であつた。

 信濃高原からもつてかへつたふ

たもとの月見草を、その夜更けに

自分の家の庭のかた隅に植江てお

いたが、その翌くる日、Sさんが

み江たときに、ひとかぶを分けて

あげた。

 ふるさとの原に咲きいでた月見

草は、わけてもなつかしい-さう

言つて、喜んでくださつたひとの

心を、温かくうれしく思つた。

 月ぐさは、その次ぎの日の夕べ、

自分の家の庭で、はげしい雨にう

たれ乍ら、ただ一輪か細く咲いた

が、Sさんの庭では七輪もひらい

たさうである。(一四年十月)

 -へんな原稿――第三稿――終――

(越後タイムス 大正十四年十月十八日 
     第七百二十四號 三面より)


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       ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


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