見出し画像

回 想

 回 想くわい そう

 越後タイムス創刊第二十週

年記念號を出すから、私にも

何か書けといふことで、四つ

の課題を與へられたが、私に

は良寛や米峰のことは何も分

らぬので、甚だ個人的なこと

ではあるが、「越後タイムスと

私」といふやうな範圍で、お

饒舌りをさせてもらふことに

した。

 私の書いたものを始めて本

誌に載せてもらつたのは、大

正十一年の秋であつた。顧み

ると、足掛九年になるが、そ

の間書きためたものが、大型

切抜帖の二册を埋めてゐる。

今、それを取り出して讀んでみ

ると、到底一行も讀み續け得

ない程稚拙な文章ばかりであ

るが、會社員生活の餘技とし

ては、随分根氣よく書いたも

のだと、自分乍ら感心する。

これ丈の努力を、そんな若年

時代から、實業方面に傾注し

たら、今頃は相當な成功を収

めてゐただらうにと、少々殘

念に思ふ。その代り私は、本

誌のお蔭で二度も柏崎の地を

踏んで、生れて始めて海へ沒

する太陽を眺め、日本海の眞

夏を樂しみ、或は又深いたし

なみを持つ落ついた柏崎の風

土の匂ひを、心ゆくばかり味

ふことを得たのは、私の一生

忘る能はざる好印象であつた

タイムスがなかつたならば、

恐らく私は、越後の海などを

見る機會なくして終つたにち

がひない。

 扨て、そもそも私をタイム

スに紹介してくれた人は、今

北海道へ行つてゐる宮川清平

君であつた。仝君とは、同じ

會社へ勤めてゐたのと、當時、

會社の晝休みなどに集つて無

駄話などをしてゐるうちに、

お互に文學や哲學などに共通

の話題を持つてゐたために、

自然親しくなつたわけである

が、その頃會社には、柏崎地

方出身の青年社員が比較的多

く、今関西の方へ行つてゐる

長井常藏君などもその一人で

あつた。宮川君はどちらかと

いふと、文學よりも、哲學と

か宗敎とかいふ方面に親しみ

が深かつたやうで、社内でも

哲學者といふニックネームが

ついてゐたやうである。これ

は仝君が哲學に精通してゐる

といふ意味よりも、その風貌

がどことなく哲學者じみてゐ

るといふにあつたらしい。仝

君と私とは顔を會はせると、

神があるとかないとかいふこ

とや、社會主義とか無政府主

義とか、アインシュタインの

相對性原理とか、リツケルト

の歴史哲學とかいふやうな、

途方もない六づかしいことに

就いて、青くさい議論をし、

正に口角泡を飛したばかりで

なく、本誌上でも再三御厄介

になつた。今考へると、實に

冷汗ものである。當時より約

十年の歳月が流れて了つた今

仝君はどんな考へを持ち、ど

んな生活をしてゐるか――私

はこの原稿を書き乍ら、泌み

じみさういふ感慨に耽つて

ゐる。今はその頃とちがつて、

會社の晝休みに文學や哲學な

どの話をしてゐる青年は一人

もゐない。彼らの話題の第一

はスポーツである。それから

酒塲バー、カフエー、ダンスホー

ル、シネマ、さうして女の話

である。近頃はそれにもう一

つ話題が追加された。それは

會社が不景氣でいつ首になる

か分らない、といふ話である。

首になれば酒塲バーへも行けない

し、女の顔も見られない、困

つたものだといふわけだ。こ

れは前の話題の華かさに比べ

て餘りにみじめな、いやな話

である。前途ある青年社員が

自分の首の話を、晝休みにし

なければならないとは、何と

情けない時代ではないか。

 時代は移る―私なども一昔

前は文學なくして何の人生ぞ

といふ風な考へで、紙魚しみみた

いな眞似をして得意だつたが

今では野球のチームをつくつ

て、日曜日は夜明から日沒ま

で、それに沒頭してゐる。そ

れ以外の日は何をしてゐるか

といふと、有名な谷孫六氏の

「岡辰押切帖」式貨殖萬能生活

である。中天に囀づる雲雀の

聲をきき乍ら、何も考へずに

一日を遊び暮らすかと思ふと

その翌くる日からは二一天作

の五の我利我利亡者だ。人間

もこうなると案外氣らくなも

のである。・・・これは飛んだ

餘談に入つたが、とに角、過

去十年間、自分の歩いて來た

路を、最も明瞭に示してくれ

るのは越後タイムスである。

又、私が今迄に得た尊敬すべ

き知己の多くは、殆んど越後

タイムスによつて結ばれた人

々ばかりである。この意味で、

本誌は私の生涯に特記すべき

存在であり、且つ柏崎は私の

第二の故鄕であるといはねば

ならぬ。幸に二十周年記念號

發刊に際して上記拙文を草し

てお祝ひの言葉に代へた次第

である。(昭和五年五月十六日)

(越後タイムス 昭和五年五月廿五日 
                 第九百六十號 八面より)

#越後タイムス #柏崎 #昭和五年 #回想 #旧王子製紙
#谷孫六 #岡辰押切帖式貨殖萬能生活



ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?