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た び 路 ――へんな原稿(五)――

――へんな原稿――第二稿――

    5

 雨はやんでゐたが、柏崎の街の

あさの空はいぶし銀いろであつた

ふかく、ひくく、雨ぐもが空いちめ

んをとざして、しかし旅づかれの

眼には、しつとりとしめやかな街

が靜かであつた。ところどころの

みづ溜りには靑い柳の葉かげが鮮

かであつた。停車塲まできていた

だいた葉月氏夫妻とわたしだちは

默つてはやい朝の街を歩るいた。

 どこの街へ行つても、温かい、

なつかしい、親しさを覺江るわた

しは、ことにこの靜かな雨の日の

柏崎をうれしくながめた。

 あそこにみ江るのがむかしのS

君の家だ。――さう指ざされてゐ

るうちにも、わたしだちはその古

い家の前をとほりすぎていつた。

 文字のうへでなじんでゐる、さ

まざまなひとの家をも、ひとつひ

とつふりかへり乍ら、わたしはま

るでひさしぶりにふるさとの家へ

でもかへるやうな、なつかしい思

ひを深くした。冬の雪ごもりのた

めに家の軒はひくく、家のなかは

くらいが、それとても北國の街ら

しくてよかつた。

 ――ふるさとは母のごとく温し
ふるさとは思ひびとほどなつかし
旅にあふ街もまたさなり

 わたしは重い旅鞄をさげながら

そんなことをくちのうちでつぶや

いてゐた。

 石をもて追はるるごとく
ふるさとを出てしかなしみ
消ゆるときなし

とうたつた石川啄木でさへも、

 ふるさとの山に向ひて言ふことなし
ふるさとの山はありかたきかな

とうたひ、また、

 ふるさとのかの路傍みちばたの捨石よ
今年も草に埋れしならむ

とうたつて、ふるさとの山川草木

に、泪ぐましい追憶の思ひを寄せ

てゐるではないか。

 たとひ、われに冷たきひとのこ

ころを恨むとも、ふるさとの海を

山を、河を、草木を、どうしてう

らむことができやうか。

 わたしの好きな、あの情熱詩人

が、そのふるさとのひとをにくむ

のあまり、かへつてそのふるさと

の自然をなつかしんで、追憶の泪

にひたつた心持を思ふと、わたし

も寂しく泪ぐむよりほかなかつた

 やはらかに柳靑める北上の
岸邊眼に見ゆ
泣けとごとくに

   ◇――◇

 岩木山秋はふもとの三方の
野にみつる虫を
何ときくらむ

 ふるさとをうたつた啄木のうた

はことごとくわたしの好きなもの

ばかりである。

 すぎゆきしものは
詮なく哀しけれど
そのなつかしさなににたぐへむ
なべて昔は
泪ぐましく思へかし

 少年のころわたしは、はつ戀び

とをうしなつたときにも、茫然と

ふるさとへかへつた――わたしのは

つ戀びとは、秋のあの高い空の雲

にのつて、わたしの知らない遠い

ところへ行つてしまつた。けれど

も秋になると、またそのひときれ

の雲にのつて、わたしのはつ戀び

とはどこからともなく鳥のやうに

ひとり野原に坐つて空をみつめて

ゐるわたしの上をとほりすぎてゆ

く。一年にたつたいち日の-秋の

澄みきつた午後のひととき、それ

とてもほんの、わたしがまたたき

ひとつできないほどの速さで、そ

の戀びとの雲は流れてゆく。六年

まへの秋のひと日にも、そのつぎ

の年の秋の午後にもわたしはたし

かにその雲をみた。去年の秋にも

わたしはみた。また今年も秋にな

るのを待つて、なつかしいひとの

棲む雲を、ひと目みて泣きたいも

のだ。さう、さう。もう桔梗の花が

咲いてゐる。月ぐさのいのちもか

ぼそくなつたやうである。もうぢ

き萩の花が咲くだらう。桔梗も萩

もなつかしい、いい秋ぐさの花で

ある。あの花が咲く頃ともなれば

秋はもうちかづいてゐる。秋だ。

秋だ。はつ戀びとが遠いところか

ら、わたしにあひにきてくれる秋

だ。いまは愁ひにおはれて、せつ

なくも七月の旅路を彷徨つてゐる

が、もうまもなくあのひとにも

あへる秋がくるのだ。――

 心をうしなつた少年のわたしは

その哀しみを父母にも秘めて、せ

んすべもなくふるさとへかへつた

少年のころは、その哀しみに、そ

のむなしさに堪江られなかつたか

らである。

 そのご私は、ふるさとの山でふ

とみたひとのことを忘れがたく思

つた。その日から三年――わたし

は父母をあざむいて、いくたびふ

るさとの、そのひとのすむ家の山

路をさまよひ歩いたことであらう

しかし三年目の秋であつた。わた

しが父の骨をもつてふるさとへか

へつたときには、もうその家にわ

たしの戀ひしく思ふひとのすがた

はなかつた。わたしは毎日そのひ

との家の裏庭のたけたかい向日葵

のかげにしのんで、あさから日の

暮れるまでも、ぢつとうづくまつ

てひそんでゐた。そのひとの室は

その花畑にちかい緣側にあつたか

ら、若しそのひとがその家に居る

ものなら、一日のうちにはきつと

畑の花をみにおりてくることもあ

らうと思つた。おろかにもひとす

ぢにさう思つた。そのひとは大へ

ん花を好きであつたからである。

けれど、いつもそのひとの室の障

子の蔭にあつたそのひとの、あざ

やかすぎるほどまつ赤な帶も、そ

こにはみることができなかつた。

(こんなことを思ひ出してゐると、

わたしは旅路を書けなくなりさう

である。これはいづれ一篇の小品

にまとめて、この-へんな原稿-

の、別な第-稿かにあてたいと思

つてゐる)

 歡びにあれ、哀しみにあれ、ひ

との思ふものは、まづそのふるさ

とである。

 今日ひょいと山が戀しくて
 山に來ぬ。
 去年腰かけし石をさがすかな。

 この啄木のうたそのままの心を

もつて、そのふるさとをなつかし

むのは、わたしだけではあるまい。

 ふるさとは
 思ひびとほどなつかし

 柏崎の雨あがりの街を歩るき乍

ら、わたしの懐舊の思ひは、ゆめ

のごとくつきなかつた。

 (思ひがけなく、月ぐさの美しき眼を
  たのしめる日かく)

(越後タイムス 大正十四年九月六日 
      第七百十八號 四面より)


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