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品川 力 氏宛書簡 その十九

 親愛なる
品川 力 君
昨日のタイムスはほんたうにありがたかつた。
あなたの宇宙的燦訳の記念号であった。
「大がらす」のカットはすこし嫌だったが、印刷
もきれいだし、ミスプリントもないのは、快い。
昨日朝横浜へくる汽車の中でいくども
愛誦し、あなたの好意をうれしく思
った。「アラン・ポオそのほか」はまた近来
の好きな文章であなたの素質が、すっ
きりとにじみでゝ僕は快感を覚えた。
 夕方伊勢佐木町を散歩してゐると、
薔薇の花があったので、約百さんの約束
もあるし、あなたの藝術があまり僕を
喜ばせたので、一鉢かって、わたしの生涯の
愛人ツトムさんと約百さんにおくったわけです。
むろんミルクホールへも寄りました。夜神
谷町の方へおじゃまにあがり、お父さんといろい
ろお話しました。お父さんはあんまりすごす
ぎる。
あなたはちっとも手紙をくれませんが、何か
怒ってゐらっしゃるのでせうか。僕にわるいとこ
ろがあったら、どんどん云って下さい。
今横浜へつき待合室でこれをかいてゐます。
おあそびにゐらっしゃい。
       五月廿六日横浜にて、
          菊池 与志夫


[消印]14.5.26 (大正14年)
[宛先]東京市京橋区銀座
    尾張町 大勝堂
    品川 力 様


    五月廿六日
      横浜ステーシオンにて
       菊池 与志夫


(日本近代文学館 蔵)


※普通のはがきではなく、封緘はがきといって現在のミニレターに似たもの   に書かれていた。




アラン、ポオそのほか
            品 川  力

 僕はいまゝでの譯詩のうちで、
このポオの「大鴉」ほど苦しんだも
のは、ほかにない。
 第四章から六章ころまでは、ど
うにか、こうにか片づけたんだが
七章八章と進んでくると、だんだ
ん難解になつてくる。
 僕はもう恐怖と、どす黑い刺激
の海のなかに、ほうり投げられて
ゐた。
 そのためなのか眼まひがして、
終ひには、何がなんだか、サツパ
リ分らなくなつてくる。
 ――これは僕の力ぢや到底およ
ばない――と、あきらめて、この
「大鴉」の草稿はそれつきり、尻切
りとんぼになつてゐたのだ。
 窓を開けたところが、大鴉が飛
びこんで來たところまでゝあつた
のだ。
 で、この未完成の草稿を菊池氏
に送つておいた。ところが、あゝ
した路を歩いてこられた氏にとつ
て、ひどく打つ何ものかゞ、あつ
たものらしい。彼は是非ともこれ
を全譯して呉れろ、と云ふ。よし
/\と安受けしたものゝ、二月た
つても三月たつても、らちが明か
ない。
 誰れでもが知つてゐる通りポオ
は官能的だ。たゞ官能的ぢやあつ
さりしてゐるが、その官能的が甚
だ飜譯しにくいのだ。
 さりとて、約束嚴行の僕にとつ
ては、違約することは、苦しいの
で、これに就ては馬鹿らしいほど
の、心血をそゝいだのだ。
 とう/\十八章全部にこぎつけ
た。が、未だ腑に落ちないとこが、
二三箇所もあつた。ところが、二三
日前の雨降りに、思ひのほか、上
手くかたづいた。
 これで半年ほど、掛つたわけだ。
骨の折れたこと、夥たゞしい。
 ポオに就て、は、いろんな事を書
いて見たいのだが、いま、Chester
ton のCharles、Dickens、などに
嚙りついてゐるので、その暇がな
い。それで、今ポオのことに關して
は英文學の書物に載つてゐる事を
其儘こゝに、持つてくるのが、一
番世話がない。
 ――彼の詩は第一に非常に音樂
的である。そしてその中には愛と
失意の心が沈鬱な影を以て刻まれ
てゐる。
 然しある時には餘りに神秘的で
あり、ある時には餘りに漠として
つかみ處がない。
 そこに彼の詩人として有名でな
い所以があるのであらう。
 彼が詩の音樂上に努力した事は
非常なもので、「大鴉」を作つた時
の音樂上の心構へを説明してゐる
彼のエッセイを讀む人は、その藝
術的な數學的な用意の精細なのに
想到するであらう。
 有名な詩としては「眠る人」The
sleeper「ヘレンに寄す」To Hel
en「レノア」Lenore「大鴉」The
Ravver「アンナベルリィ」Annabe
l Lee「鐘」The Bells等がある。
 彼は一體詩を、藝術美の方面か
らのみ見たので、眞とか自然とか
いふ事は考へない。
 だから、詩を定義して、「美の律
動的想像」”The rhythmic creati
on of the beautiful”だと言つて
ゐる程である。
 そして、たしかにこの定義に從
つて彼の詩を作つたのである。
 アラン、ポオを評した言葉で僕
の一ばん氣に入つたのは、何んと
かいふ人の、Grotesque and ara
besque と、云ふのだ。まことに、
適評だと思ふ。
 そも/\、僕が初めてポオを知
つたのは、二、三年前の神田時代に
故トマス、ブレナン先生のとこに
通つてゐた頃のことだ。
 僕はジョンソンのポオの詩論の
中にある、彼の「アンナベルィ」
の哀調を帶びたメロディに心を惹
きつけられて、いつも口ぐせのや
うに歌つたものだ。
 僕はもう最後の章にくると、何
んだか妙に悲しくなつて、聲は喉
にこみ上げて、涙は止めどなく流
れた。
 僕は作曲するんだといふ意氣込
で、コ―茶をガブ/\飲んで、ヒ
ドく興奮しては、口から出まかせ
に、ソプラノだとか何んとか云つ
て、それに醉ひしれて、勝手な節
をつけて歌つたりもした。
 僕がひとの魂を淨くする POE
MSに接しないで、柏崎あたりに、
何時までもゐたならば、いまごろ
は立派な不良少年になつてゐたか
も知れない。
 なんでも僕の學校時代がよほど
札付であつたものらしい。
 いまの大平先生などは随分手古
摺つたとのことだ。そう云へば、
小林の蛸先生が、僕を呼んで、「天
下一品」と、いつもいつた事を思ひ
出さんでもない。
 はつきりは分らんが、何んでも
親子して手に負へないものであつ
たらしい。
 さて、大ぶん話が横道にそれた
やうだ。だが、最初から、その積り
で、「ポオそのほか」なんて、しらば
くれた題を掲げておいたわけだ。
 ところで、こんどは、また話が眞
面目になる。そも/\僕がこの「大
鴉」を全譯したといふのも、ひと
へに、菊池與志夫氏の激勵にもと
づくものだ。
 また妹の約百よぶは、その女らしさ
にまかせて、ゴツ/\した譯文の
あちこちを、柔かにすべく敎へて
くれた。
 僕のこの譯詩は菊池氏の愛誦や
まざるものと聞く、僕はいま心か
らの喜びを以て、これを彼にさゝ
げるものだ。――十四年、五月――

越後タイムス 大正十四年五月廿四日 第七百三號 六面 より


                            (ソフィアセンター柏崎市立図書館 所蔵)


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