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旅 宿 の 越 年

    ×

 自分としては珍らしく旅で年を送り

年を迎へた。

 自分の故郷のこの町は、ほとんど一

年振りできてみるのだけれど、すこし

も變つてゐない。むしろ、すこしづつ

寂れてゆくやうである。町の人々の顔

にもある疲れがみ江る。自分はこのう

ら枯れの田園につゝまれて、もの靜か

な越年をしたのである。

    ×

 自分は廿七日の夜、東京を立つて來

た。田園の正月は全く淋しいものであ

る。自分がこの村へ來たその日から、

殆んど毎日のやうに、雪がチラついて

ゐる。自分は炬燵を抱いて、ひろ/″\

とした田づらを眺めて日を暮らした。

ところどころに立つてゐる、稲村の黃

いろな、わらくづに冬日がかすかにさ

してゐるのをみると、どうも感傷的に

なつてしまふ。こんな風にして自分も

亦一つ年をとつてしまふのか。年をと

るにしたがつて自分の力なさをしみじ

みと味はされるのは、都會にゐるとき

より、はげしいやうに思ふ。中村葉月

氏の憂鬱も、今、はつきりと自分にわ

かつたやうだ。三十歳になつて、自分

の馬鹿なことが、解つたと、或るロシ

アの小說に書いてあるさうだが、今の

自分の若さでゐて、こんな風では三十

歳になつたときが思ひやられる。

    ×

 ある日、雪のはれまに、自分は街を

つききつて、佐波山へのぼつた。そこ

には、一千餘年の歴史を物語る、菅原道

實の社がある。その境内のある掛茶屋

の娘に、自分は三年越しに戀してゐる

自分が郷里にかへる唯一つのたのしみ

は、自分だけが惚れてゐるその娘に逢

ひたいばかりにである。その娘はだん

/″\年とともに美しくなつた。自分は

どうしてもこの女を東京へつれてゆき

たくなつた。大晦日のひる頃、その娘

とつれだつて、まだ蕾のかたいこの山

の梅林を散歩しながら、もろ/\の神

様をおがんでまはつた。自分は娘とな

らんで、社のきざはしにひざまづいた

そして、どうぞ、こゝにゐる娘と一し

ょになれますやうにといのつて。自分

はほんたうのところ、この娘と一しょ

に東京で生活してゆけさうではない。

自分の雀の餌ほどの所得では、實際、

女のお白粉も滿足にかつてやることは

できないのだから。だのに、自分は、

この娘と一しょになりたくて耐らない

ある本能がある。自分はその本能をた

のみに、ひたすらに神にいのつた。娘

は何を祈つてゐるのか、自分は知らな

い。だが、彼も、自分のことを祈つて

ゐるにちがひないと自分はひとりぎめ

した。自分は喜びでめまひがしさうに

なつた。

  (山口縣三田尻にて十三年元旦稿)


(越後タイムス 大正十三年一月十三日 
      第六百三十三號 五面より)


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