旅 宿 の 越 年
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自分としては珍らしく旅で年を送り
年を迎へた。
自分の故郷のこの町は、ほとんど一
年振りできてみるのだけれど、すこし
も變つてゐない。むしろ、すこしづつ
寂れてゆくやうである。町の人々の顔
にもある疲れがみ江る。自分はこのう
ら枯れの田園につゝまれて、もの靜か
な越年をしたのである。
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自分は廿七日の夜、東京を立つて來
た。田園の正月は全く淋しいものであ
る。自分がこの村へ來たその日から、
殆んど毎日のやうに、雪がチラついて
ゐる。自分は炬燵を抱いて、ひろ/″\
とした田づらを眺めて日を暮らした。
ところどころに立つてゐる、稲村の黃
いろな、わらくづに冬日がかすかにさ
してゐるのをみると、どうも感傷的に
なつてしまふ。こんな風にして自分も
亦一つ年をとつてしまふのか。年をと
るにしたがつて自分の力なさをしみじ
みと味はされるのは、都會にゐるとき
より、はげしいやうに思ふ。中村葉月
氏の憂鬱も、今、はつきりと自分にわ
かつたやうだ。三十歳になつて、自分
の馬鹿なことが、解つたと、或るロシ
アの小說に書いてあるさうだが、今の
自分の若さでゐて、こんな風では三十
歳になつたときが思ひやられる。
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ある日、雪のはれまに、自分は街を
つききつて、佐波山へのぼつた。そこ
には、一千餘年の歴史を物語る、菅原道
實の社がある。その境内のある掛茶屋
の娘に、自分は三年越しに戀してゐる
自分が郷里にかへる唯一つのたのしみ
は、自分だけが惚れてゐるその娘に逢
ひたいばかりにである。その娘はだん
/″\年とともに美しくなつた。自分は
どうしてもこの女を東京へつれてゆき
たくなつた。大晦日のひる頃、その娘
とつれだつて、まだ蕾のかたいこの山
の梅林を散歩しながら、もろ/\の神
様をおがんでまはつた。自分は娘とな
らんで、社のきざはしにひざまづいた
そして、どうぞ、こゝにゐる娘と一し
ょになれますやうにといのつて。自分
はほんたうのところ、この娘と一しょ
に東京で生活してゆけさうではない。
自分の雀の餌ほどの所得では、實際、
女のお白粉も滿足にかつてやることは
できないのだから。だのに、自分は、
この娘と一しょになりたくて耐らない
ある本能がある。自分はその本能をた
のみに、ひたすらに神にいのつた。娘
は何を祈つてゐるのか、自分は知らな
い。だが、彼も、自分のことを祈つて
ゐるにちがひないと自分はひとりぎめ
した。自分は喜びでめまひがしさうに
なつた。
(山口縣三田尻にて十三年元旦稿)
(越後タイムス 大正十三年一月十三日
第六百三十三號 五面より)
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