落ち着いて話せるとよいね
私が大学で書いた卒業論文は、「日本の戦後補償問題」でした。
私が、大学を卒業したのは1996年です。当時、デマ太郎で有名な河野太郎氏のお父上である河野洋平氏による「河野談話」などもあり、従軍慰安婦問題が盛り上がっていた時期でした。
学部生だった私は、韓国人に会うような機会があると、「なんだか申し訳ないな」という後ろめたさがありました。「日本は酷いことをした」、「日本は謝罪しないといけないんだ」、「人道に対する罪ってなんだ?」・・・何やらいろんなことを考えてしまい、卒業論文に「日本の戦後補償問題」を選んだのです。
私の指導教授は、中国政治の専門家で、キャンパス内では東アジア研究に関心がある学生を集めていた小島朋之先生でした。
論文に着手する前、小島先生には一通り、私が書きたいと思っている方向性について説明をしました。すると先生は、ニコッと笑って「よく調べなさい」とだけおっしゃいました。
その後、いろいろと調べました。調べていくうちに、自虐史観に基づいていた私の戦後補償問題に対する見方は、ガラガラと崩れ去ってしまい、思っていたのとは真逆の結論になっていました。
先生は、とくに方向性についての指導はされませんでしたが、結局、そういうことをおっしゃりたかったんだと思います。
それからずいぶんと月日が経ちますが、韓国社会には少し違う風が吹いているのでしょうか。
慰安婦の問題について、韓国国内で異論が呈されているようです。このような動きは、これまでほとんどなかったように思います。
声明文には、このような内容も含まれています。
ずいぶんはっきりと、慰安婦問題の「嘘」を告発しているように思います。1991年に端を発しているとすれば、それから30年の歳月が経っているわけです。
ようやくここまできたのか、という思いがします。
2019年、「反日種族主義」という書籍が発刊され、ベストセラーになったのも、私にとっては少し驚きでした。
「反日種族主義」では、韓国全体を「嘘の国」と断じ、その問題を徹底的に論じています。
韓国人による韓国批判というのは、とても大変なことだと思います。それも殊更、日本に関係することとなると、韓国社会では生き証人のご老人にまで鉄槌が下るほどです。
とてもではないですが、真実を追究し、真剣に歴史をみつめていくような作業ができる社会であるとは思えません。
しかし、それが少し変わってきたかも?と思わせてくれる報道だと感じます。
ただし、この問題の本質は、韓国社会にのみあるのではないと考えます。韓国だから、韓国人だから、韓国政府だから、という視点だけでなく、マスメディアの問題は外せません。そういう意味では、この問題は韓国に限ったものではないのです。
つまり、政府や報道機関の発表ばかりを鵜吞みにしてしまっては、無駄に感情が振り回されますし、我々民衆は扇動されるばかりとなってしまいます。
大切なことは、それらを鵜呑みにせず、自分たちでもよく考えることです。それができれば、意図的な扇動にも振り回されることはありません。
両国のためにも、感情的にならず、落ち着いて話ができるようになれるといいですね。学生時分のことを思い出しつつ、あらためてそんなことを思うのでした。
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