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ルールを制する者が全てを制す

ルールを制する者が全てを制す」なんて、言っちゃなんですが、当たり前のことです。

法改正のときに、ビジネスチャンスが生まれるなんてことが言われます。

ルールが変われば、戦い方が変わります。今までうまくいっていた人がうまくいかなくもなり、うまくいってなかった人がうまくいくようにもなるわけです。

ビジネスアイデアのきっかけになる出来事はいくらでもありますが、知財を含めた法律関係の仕事では、法改正や最高裁判決がビジネスチャンスにつながることもあります。

Open Legal Community「法改正をビジネスチャンスに」2020年7月1日

新しい事業を興そうとする人や、今のビジネスを飛躍させようと考えている人たちは、法改正や判決といった、いわば「社会のルール」に対して、アンテナを張っていると思います。

ビジネスからは離れますが、昔、こんなのもありました。

 しかし1998年の長野五輪を前に、複数回にわたって日本に不利なルール改正が施行された。ジャンプの比重が軽くなり、以前ほどクロスカントリーのアドバンテージ=タイム差に結びつかなくなったのだ。露骨な“日本潰し”の結果、長野五輪では団体で5位に沈んだ。
 日本の躍進によって本場・ヨーロッパにおける複合人気が低迷し、スポンサーが集まらずにW杯の開催が危ぶまれたことなどが背景にあったという。ルールが変われば、試合の戦略や練習内容も変わったはずだ。
 「クロスカントリーの練習に時間を割いて筋力を付け過ぎちゃうと、今度は空を飛べなくなってしまうんです。ものすごくデリケートな部分があって、ルール変更によって日本はジャンプ力まで低下した」

NEWS ポストセブン「ノルディック複合 ルール変更で起きた世界のオギワラ潰し」
2018年2月19日

スポーツの世界だって同じです。ルールが変わってしまえば、それまでの強者が、簡単にその地位を奪われるのです。

一番いいのは、自分の都合の良いようにルールを変えてしまうこと、それが最強です。

例えば、銀行法の改正は、日本の中小企業を外資に売り飛ばすためのものではないかと言われています。

改正銀行法の名目としては、地銀生き残り策を考える中でエクイティの幅を広げていくものとしていますが、もう一つの目的は外資銀行の活動範囲を広げることにあります。これまで地域で活動する外銀はわずかでしたが、改正銀行法で支店をつくりやすくなっているので、外銀・外資ファンドによる中小企業の買収活動が活発化する可能性は高い。昨年の外為法改正により上場企業株式については外資の存在に国が目を光らせるようになりましたが、中小企業は監視対象外です。

Business Journal
「中小企業が外資銀行の“草刈り場”化か…コロナ禍で「改正銀行法」強行、産業空洞化の懸念」
2021年6月19日

法改正により、優良中小企業を買収しやすくすることで、「企業の株や債券を購入した後、自ら経営に介入し、リストラなどを行った後に売り飛ばす」という、かつてのハゲタカファンド問題の再燃が懸念されているわけです。

このようにルール(法律)を変えてしまえば、いかようにでもなります。そして、仮にルールを変えることができないとしても、そのルールを熟知していれば、そのルールに則って、あらゆる手段を講じることができます。

結局、ルールを制する者が全てを制するわけです。


さて、本当の問題はここからです。こんな動画があります。

別の歴史に関する多くの本がありますよ、非常にラジカルな。
しかし、ほとんどはレーダーに引っかからないんです。
これはレーダーに引っかかったんです。
その結果、私の評判を落とすような一致した試みがあったんです。陰謀がかっています。
学者か誰かが、BBCに手紙を書き、「この男を引きずり下ろせ」などと言ったのでしょう。

これはTEDトークに登壇したグラハム・ハンコック氏のインタビュー動画です。TEDトークについては、こちらのサイトをご参照ください。

そのインタビュー動画のなかで、彼が登壇したTEDトークの動画が、削除されたことについて述べられています。削除されたのは、「意識における戦争」というタイトルのものになります。

西洋の物質主義的科学者はこう言います。「我々は単なる肉だ、ただの身体だ」と。ですから、脳が死ぬと、意識も終わりになります。
死後の生命というものはなく、ソウルもなく、我々は朽ち果て、いなくなるだけなのです。
しかし実際には、多くの正直な科学者が認めているのです。
意識は科学における最も大きな問題であると。
そして、我々は脳がそれにどう関わっているのか正確には知りませんし、また、脳がどのように意識を作り出すかも定かでないのです。

どうして、この動画が削除対象になったのかについて、インタビュー動画のなかで、同氏は以下のように語っています。

科学にはある種の派閥があるんです。
これは物質還元主義とか呼ばれますよね。すべてモノに帰着するんです。
ですから、意識に関わる何かが脳を超えたところにあるかもしれない、などという考えは、そういった科学者には受け入れられないんです。
そういった科学者は信じるんです、意識とは彼らの呼ぶところの、脳活動の付帯現象だと。
(中略)
ルパート・シェルドレイクと私は「そうではない」と示唆しました。そんなことよりもはるかにミステリアスだと。
それが理由ですよ、我々のトークを消した。
我々が非科学的だからではなく、特定の科学派閥のドグマに挑戦したからです。

意識というみえないものに対して、科学的見地から、これをどのように捉えるべきかというのは、非常に難しい問題です。彼が「物質還元主義」と呼ぶ立場からすると、意識というのは、あくまでも脳の活動という物質的な動きの結果、付帯的に生じるものだということになります。

しかし、彼はそうした唯物論的な科学(物質還元主義)に対して、疑問を投げかけたのです。このことは、今の世界の成り立ち、宇宙のルールを根底から見直すことに繋がります。

何故なら、そのことが、この宇宙には目に見える次元以上の世界が存在することを示唆するからです。

より高次元の世界があるとするならば、この目に見える物質世界(時間を含めずに言えば3次元世界)は、その高次元世界のなかで成り立っていることになります。つまり、この物質世界は、目に見える物理法則(ルール)だけではない、それを超越したルールによって、支配されているともいえるわけです。

しかし、唯物論的な思想によって、世界を支配しようとしている人々がいるとしたら、それは大変都合が悪いことです。彼らは、物質世界のルールこそが絶対であると信じ込ませ、そのなかで事を運びたいと考えていると言われているからです。

けれども、それを超越したルールに気づかれてしまったら、ゲームが変わってしまいます。それまで強者だった彼らも、そのルールを熟知し、それを使いこなせる人々が出現してしまったら、その地位を追われてしまうかもしれません。それは彼らにとって、大変困ることになるでしょう。

こちらの記事でも述べていますが、この宇宙が、ただ目に見えるものだけでできていると思う必要はないと思います。

グラハム・ハンコック氏が何を言いたかったのか、そしてそれを隠そうとした人々は何を考えたのか。そこに物質世界を超越したルールが潜んでいるとしたらどうなのか。

そんなことを考えつつ、あらためて「ルールを制する者が全てを制す」という言葉を見直してみると、まだまだイケる気がするのでした。


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