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三角関数や微分積分の教育は本当に必要か。

三角関数や微積分の有用性に疑問を投げかける政治家の話があった。それに対して私のTwitterのタイムラインでは蜂の巣を突いたようにこれらの有用性や美しさを表明するツイートで溢れた。しかし同時に疑問を湧く、若者の時間は貴重だ。大学はその希少性を理解しているだろうか。

この難題を考えるために、ブライアン・カブランさんの本「教育反対の経済学」を読んだ。ちなみにこの本の価格が4800円と高いし、それに負けず中身もとてもボリューミーだ。

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この本の中身を紹介する前に幾つかの前提をみなさんと共有しておきたい。経済学が前提のこの本で「役に立つ」というのはほとんどの場合は個人もしくは国家の収入が増えるという意味である。またこの本の著者及び私山本一成は大学というシステムで便益を受けている側であることも追記したい。

統計的に大学卒業者は高校卒業者より給料が高い。アメリカだとその傾向は先進国の中でもさらに顕著で最大2倍までいく可能性がある。つまり一見すると大学教育は労働者の給料を上げる極めて大きな効果があると感じられる。しかし著者は大学教育そのものの効果は限定的で、大学を卒業したという事象のシグナリングで給与の上昇の多くの部分を説明できるとしている。賃金上昇の説明としてシグナリングは保守的にみても3割、しかし著者は8割程度はあるだろうとみている。ちなみに大学を卒業したというシグナリングによる様々な便益をシープスキン効果という。これはかつて卒業証書が羊の皮でできていたことに由来する。

シープスキン効果を支持する具体的な例示もたくさん紹介されている。たとえば「もし大学教育そのものが労働者の賃金を上げるなら大学授業は外部からのモグリの受講生で溢れるはず」「大学の試験においてカンニングはそもそも対策する必要がない」といった感じである。

しかし雇用主は何故大学卒業というシグナリングを大事にするのだろうか。それは大学卒業が知性だけでなく、誠実さ、勤勉さや協調性を相当程度保証するからだとしている。しかしそれらは再度繰り返すが、大学教育によって身についたとする論拠は比較的乏しいとしている。つまりもともと知的で誠実で勤勉で協調的な人間だから大学を卒業できたのだ。

個人において高等教育を受けることは収入を上げるという視点で考えた場合極めて有効である。しかし社会全体で考えるとそれは壮大な無駄であると作者は論じている。痛烈だ。

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著者の研究と執念は圧巻である。大学教育はシープスキン効果だろうが労働者の給与をあげているから問題ないという反論をあり得るだろうが、それは穴を掘って埋める公共事業が雇用を発生させているから問題ないという話と大差ないと感じる。著者の提案は社会全体で教育をしすぎるなというものある。労働を通じて知識を習得する方がよほど定着率もいいと論拠も示して。

これは私が一度読んでみた感想だ。高等教育に関わる多くの方が本書をぜひ読んでほしいと思い紹介をした。






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