見出し画像

共感性は勘違い?

今は世界が繋がり多種多様な価値観やさまざまな働き方がある。

当然そこにはそれぞれの考え方や目的がある。

それでも人間は社会性の動物と言われるように人間同士は繋がりをもって生活をしている。

アメリカの哲学者であるローティーはアイロニスト(アイロニーを実践している人)について

「自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類の人物」と定義している。

つまり、自分にとって何が真実で普遍性であることを信じていながら、しかし同時に、その信念がたまたま自分が信じているものでしかなく、したがって他人がそれを共有しない可能性もあると言う、そのような「たまたま」の感覚を持つことを意味している。

カントは他者との共感性について

「目の前の他者に対する特殊な(私的な)共感は理性によって乗り越えられるべきであり、その乗り越えた果てにこそ普遍的な(公的な)道徳が確立される。」と述べている。

しかし、社会学者のノルベルト・ボルツはカントらの生きた時代18世紀に比べて、現在は他者と共感を得るのはより難しいと述べている。

その理由について次のように表現する

「世界はコミニケーションが開く多様なオプションの可能性にとって我々の時間リソースは乏しすぎる我々の注意力は誰もが誰とでもコミニケーションできると言う状態に対応できていない」

ならば今の時代はより一層アイロニスト的な思考が重要ではないかと思われる。

このようにアイロニストでありたいと願うあまり、学術的な部分を補足すればステレオタイプや偏見のような部分が緩和し寛容性が身につくのではないだろうか?といった思いから進めているが、真のアイロニストにはなれていない自分がいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?