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[#3] 留学のきっかけ (2/2)

こんにちは。Issac(アイザック)です。
#2からの続きで留学を決めるに至った経緯について書いていきます。

1つ目のきっかけとなった、あの組織でのとある経験。

当時の職場が世界的スポーツ大会の運営組織団体だったということもあり、組織内には英語をはじめ外国語を話せる日本人スタッフや、外国人スタッフが多くいました。私のいた部署には外国人スタッフはいませんでしたが、すぐ隣の別部署のチームで、日本人、アメリカ人、韓国人、台湾人といった面々が英語と日本語を織り交ぜてミーティングや雑談をしている風景をよく見ました。
当時の私には何の話をしているのかさっぱり分かりませんでしたし、初出社の時なんて、そのチームの皆さんに対して自己紹介も満足にできず愛想笑いと握手で切り抜けたことを覚えています。

そのような環境でも英語を使わずとも仕事は進められました。
なぜなら私の部署は、基本的に対国内の調整業務がメインだったため、資料は全て日本語でよく、会議も日本人相手に日本語でやることが99.9%だったからです。

しかし一度だけ、スイスはローザンヌにある本部組織から来日した担当者との対面ミーティングに同席する機会がありました。担当者はもちろん英語話者、日本語は解しません。日本組織側が手配した通訳の方を間に置き、ミーティングは進行していきました。

ミーティングは、当時の段階での計画に滞りはないかという進行チェックと、パンデミックという困難な局面をどう乗り越えていくか、というような内容だったと記憶しています。

その中で、先方の担当者(確かフランス人)が英語で「どんなに辛い状況であろうと、このイベントを楽しみにしている人は世界中にいます。その楽しみを盛り上げるのは事前の準備はもちろん、あなたたち関係者の熱意がそれを底上げするのです。だから今こそ頑張ってほしい。」というようなことを言ったそうで、通訳の方が日本語にしてくれました。

意外でした。
こんな大規模で世界的なイベントの制作の現場で、担当者が精神論的なことを言うとは思わなかったからです。伝え聞いた私の中の外資系のイメージから、バリバリ働いている外国人は精神論など排除したドライな人しかいないという先入観があったのだと思います。

その時、驚きとともに痛烈に思ったのです。
この目の前いる人の話を、通訳を介さずに、想いをダイレクトに感じ理解してみたかった!

この経験が「この仕事を満了したら留学に行こう」と、これまで漫然としていた”いつか"に、時期という具体を与えることになりました。

2つ目のきっかけとなった、パンデミック。

期せずして仕事の契約期間が1年延長となり考える時間が増えたことと、誰もが予想しなかった事態に言葉通り世界が翻弄されている状況を見て、やりたいことはやれるうちにやらなくては、という想いを強くしたことが、自分で自分の背中を押すきっかけになりました。

とはいえ世界はパンデミックの大混乱の真っ只中。東南アジアに駐在員として赴任している友人も、年単位で全く日本に帰国できない状況が続いている中での留学計画は、常に「本当に行けるだろうか。行けても思い通りのタイミングに行けるだろうか」という疑問が付きまとっていました。
しかし未来のことは誰にも分かりませんし「各国が鎖国している状況をこのままにしておくはずがない、どういう形であれ未来は好転するだろう」という前向きな確信を持って準備を始めることにしました。
(それでも関わっていた世界的スポーツ大会の開催には懐疑的だったので、自分でも矛盾していると思いますが。)

2つに分けても長くなってしまいました。

次回は、なぜ留学先をイギリスにしたのかについて書きたいと思います。
ではまた。

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