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文楽と煎茶 -ふたつの大坂文化から考えるーその3(如翺)

前回の投稿から少し間があいてしまいました。
7月5日に文楽太夫の竹本織太夫師匠とトークさせていただき、
それをオンライン配信いたしました。

そのときのトークで考えたことを書かせていただいております。
その3回目です。

前回は、和室における「床の間」と、そこに掛けられた書画の位置づけと、
中国知識人(文人)の文房(=書斎/他者にも開かれたプライベート空間)における「壁」と、そこに掛けられる書画の位置づけを比べながら、
「煎茶」という文房趣味では、掛けられた書画を崇め奉らない、
書画はあくまでも、それを見る人と同等である、ということを述べてまいりました。

今回は、「掛けられた書画とそれを見る人が同等である」ということを
もう少し掘り下げて考えてみようと思います。

7月5日のオンライントークイベント当日、
私は織太夫師匠を迎えるために、そしてオンラインご参加の方々に、お話だけでなく目でも楽しんでいただくために、画を掛けておりました。
その絵をご覧になった時の織太夫師匠のご反応と、そこから広げられた話をお伺いしているうちに、
掛け軸とのこのような関わり合いこそが、書画を崇め奉るのではなく「書画と同等」に楽しむということそのものなのだと、あらためて感激いたしました。実際に当日掛けていました画を見ながら、そのあたりを書いていこうと思います。

二世曾呂利

織太夫師匠とのトークイベントということで、
私は何か夏の芝居に関わる掛け軸はないものかと思いめぐらしていましたら、そうだ、これがあったな、と思い出し、当日掛けたのがこの掛け軸です。

目隠ししたおとこが、ふらふらした足取りで大勢のおんなたちに誘われています。おんなたちは手をたたいています。

「鬼さんこっちだ、手の鳴るほうへ♪
 鬼さんこっちだ、手の鳴るほうへ♪」

芝居好きの方はもうお分かりですね、そう、
『仮名手本忠臣蔵』「七段目 祇園一力茶屋の段」、通称「茶屋場」です。

タイトルからお分かりのように、『忠臣蔵』を下地にした芝居で、
この場面は、大石内蔵助(芝居では大星由良之助)が江戸へ討ち入りへ向かう途中、自分に仇討の意思があることを敵方に悟られないようにするため、
夏の京都、祇園街で遊興に耽っているように演じているところです。

「捕らまよ、捕らまよ、捕らまえて酒呑まそ♪」

という大星由良助の声も聞こえてくるようです。目隠し鬼をしていて、この女たちの内だれかを抱き捕らえようとしているわけです。
夏の祇園街。色街の香り、宵の涼しさ、灯のなんともいえぬ明るさと、おんなたちの笑い声、おとこたちの遊び声、歌舞音曲に酒の足。

そんな夏の舞台を描いた画です。

織太夫師匠師匠が、当日、このトークを配信した場所、
つまり私ども一茶庵におこしになった時に、
まず師匠にこの画をお見せしました、「七段目です」と申し上げたら、
「嬉しいです!ぴったりです!」とおっしゃいました。

「どういうことですか?」とお聞きしたら、
「実は七段目は『綱太夫』(『織太夫』という名跡の後に襲名することの多い大名跡)とゆかりの深い場面なんです」とお答えになりました。
綱太夫系統の名跡を継がれている織太夫師匠にとっても、
やはりこの場面は大切なゆかりが深いわけです。

七段目のはじまりで、一力茶屋の亭主が斧九太夫を店に入れるに際して、
こんな台詞をいいます
「そーれ、灯をともせ、仲居ども!」と。
この台詞の『仲居ども』の部分に独特の節回しを付け、色街の華やかさが出るように演出しなおされたのが綱太夫だったそうです。

この話を本番でも織太夫師匠はしてくださいました。しかも実演つきで。
大サービスでした。この実演によって掛け軸の画の印象がどれだけ立体的になったものか。
綱太夫系統におられる織太夫師匠が、綱太夫からはじまった節回しを、
まさにその場面が描かれた画の前でしてくださった、
その節によって、祇園街の音が、本当に聞こえてくるようでした。
ここに描かれた画は、こんな華やかで色っぽい夏の宵なのだと、
肌で感じることができました。画の空気感がこちらを飲み込んだ瞬間でした。

またさらに、「どなたが書かれた画ですか?」と聞いてくださいました。
私はお答えします、
「上方の落語家で、桂文之助っていう人がいて、幕末から大正を生きていたんですけれど、実はこの人、落語家を引退した後は、・・・」
と私が言いかけると、師匠は続けれられました
「あ!知ってますよ!二世・曾呂利新左衛門!(ニセ・そろりしんざえもん)。」
流石、ご存じでした。

上方の落語家、初代桂文之助は、引退後、趣味に遊びました。
実は、豊臣秀吉時代、秀吉の同朋衆(秀吉取り巻きの芸能者)の中に、曾呂利新左衛門という人がいて、秀吉を大変よく笑わせるのにたけた人間だったそうです。
文之助はその二代目、という意味で二世・曾呂利新左衛門と名乗りました。
そしてその「二世」という字を「にせ=偽」と洒落て読ませていたのです。

そんなニセ曾呂利さんは、私ども一茶庵で煎茶をされた仲間だったのです。
このトークショーで掛けたこの画は、当時、彼が一茶庵に置いて行かれた画です。

トークショーの中では、
ニセ曾呂利さんのプロフィールと洒落も、
織太夫師匠がお話ししてくださいました。

この日の亭主である私がすべて話してしまうと、
解説的になってしまいますが、
おこしになった織太夫師匠から話していただくと、
ご覧になったみなさまに共有しやすかったのではないでしょうか。

こうやって、画の中の世界を語りによって引き出し、
作者の人となりを面白く語っていただき、
この掛け軸やこの画の世界が、見ている我々を包み込みました。
画の世界がこちらと同空間になったのです。

本当は煎茶会では、ここから、
「この画の大星由良助は、大人物としての風格がなくてヘロヘロですね」
とかと言いながら、さらに画を掘り下げていくことになるのですが、
それはまたの機会にお預けです。

このように、
文人趣味の茶、煎茶では、
掛け軸を床の間の奥深くに置き、絶対的存在として崇め奉るのではなく、
それを見ている我々と同空間にいる同朋として、
亭主と客と掛け軸とが一体となって語り、笑うのです。

もちろん、この画を書いたニセ曾呂利さんには、
100年以上たって、これだけ我々を楽しませてくれる芸能者として、
われわれは尊敬の念は抱いて接しているいるわけです。

「尊敬する同朋との同空間・同等の交わり」
これこそが文房趣味の茶、煎茶における人と人との交わり方だと、
私は思っています。

さて、今回はこのあたりで終わりにします。
次回は、織太夫師匠とのトークイベントに関してまとめさせていただき、
このイベントに関する私の文章を次回で締めさせていただく予定です。

文楽と煎茶、ふたつの大坂文化から、
ウィズコロナ時代への発信について書こうと思っています。
今回もお読みいただきありがとうございました。

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「煎茶」という茶の世界。それは自らたのしむ「自娯(じご)」の世界、文芸と芸術に集う「文人(ぶんじん)」たちの世界です。令和というこの時代に、文芸や芸術を通して、過去の人たちの知の集積と、現代の私たちと、未来世界とを繋げるような「煎茶」文化を提案していければと思っています。