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文楽と煎茶 -ふたつの大坂文化から考えるー その4(如翺)

「文楽はおはぎである。」

「形にこれといった決まりはなく、
だれもがどこででも手に入れられる、
文楽はそんなおはぎである。」
しかし、
「文楽はいま、神棚に祭られたおはぎになってしまった」
「おはぎをちゃぶ台に降ろし、
誰もが食べられるようにすることが自分の仕事」

文楽太夫・六代目竹本織太夫師匠はおっしゃいます。

『文楽と煎茶ーふたつの大坂文化から考える』と題して、
3回書かせていただき、今回で4回目です。

今まで、7月5日にさせていただいたオンライントークイベント
『文楽へ行こう!煎茶に集うサロンを知ろう!』を、
オープン台地実行委員会さん主催でさせていただき、
その内容から発展させる形で書かせていただいておりました。

今回はその最後です。

今回の冒頭の織太夫師匠の台詞は、
このイベントのなかで織太夫師匠がおっしゃった言葉です。

文楽はおはぎ。

だとすれば、煎茶は何でしょうか。
ちょっとそれは考え中です。答えはまだありません。

ただ言えることは、
「煎茶はいま、床の間の奥の方に隠れてしまって、
本当のところが誰にも見えない状態になってしまった」
「こちらに引き戻すことがわれわれの仕事」
ということだろうと思います。

今回は、この「引き戻す」ことについて書かせていただき、
まとめとさせていただきたいと思っています。


奥に入ったものを「引き戻す」こと、
それは「わかりやすい説明」ではない、
と私は考えています。

もう少し正確に言うと、
「わかりやすいだけの説明」ではない、
ということです。

本当にこれはあまりにも私個人の経験なのですが、
中学生のころ、結構好きだった理科の先生がいました。
その先生の授業の評判は、みな、口をそろえて「面白いけどちょっとわかりにくい」、でした。
全然わからないということではなく、ちょっとわかりにくいのです。
ですから定期テスト前は大変で、自分で参考書を読み込み、理解し、演習しなくてはなりません。結構苛立ちながら勉強したものです。
中三になって、理科の先生が変わりました。
その先生の授業の評判は、みな、口をそろえて「めちゃくちゃわかりやすい」、でした。
ですから定期テスト前は苦労せず、参考書をさらりと読んだだけで、理解し、演習もはかどりました。
ところが、中一中二の時の方が、理科の成績ははるかによかったのです。

高校三年生の時、予備校の数学の先生がこんなことをおっしゃっていました。「生徒に10割わからせてあげようという授業をした年、だれも合格しなかった、6割だけわからせようという授業をした年、合格率がいちばんよかった、君たちには7割くらいわからせるつもりでやってる」と。

私は、みなさまに何かを話させていただくような立場になってから、
これらのことがよくわかるようになりました、
「わかりすい話」は相手に伸びしろを残さないのです。

事実、私の話を聞いてくださって、
「わかりやすかったです」という感想が多かった時、
その中には、その後、煎茶に「のめりこんでくる」方はいなかったといっていいでしょう。

ある能の笛(能管)の先生にこう言われたことがあります。
「君たちの世代は人にわかりやすく話しすぎる」
「わかりやすかったです、って初めての方に絶対言わせちゃいけない」
「私なんて何十年やっててわかんないんだから、1回目の方にわかってもらちゃこまるよ」と。

やはりこの先生も、「今日の能の話はわかりやすかった」と言う感想をお客様からいただいたとき、その方々に2度と見に来ていただけたことはない、とよく経験しておられるのでしょう。

このことに関しては、
織太夫師匠とのトークイベント本番ではほほとんど触れませんでした。
しかし、お打ち合わせ段階で様々なお話をしているとき、結構お話したと記憶しています。

師匠と「熱演」とは芸や否や、
という話をしていたとき(この話はいずれ織太夫師匠との公開トークの中で掘り下げたいです)、
ふと、かつて、織太夫師匠が豊竹咲甫太夫さんだったころ、
NHKの『トップランナー』という番組にご出演で、
当時タレントで、同番組の司会を務められていた山本太郎さんが、
織太夫師匠の芸をはじめてお聴きになって、
「なんか知らんけど、むっちゃ面白かったです!!!」
とおっしゃいました。

なんかわからないけど、むっちゃ面白い!
こういう反応が一番うれしいよね、と師匠と話しておりました。

そうなのです、
「神棚から文楽を降ろす」、
「床の間の奥からこちらへと、煎茶を引き戻す」とは、
「わかりやすく解説すること」ではなく、
「むっちゃ面白かった!!!」と言っていただくことなのだと思っています。

とはいえ、
私は別にわかりにくく話すことを目指しているわけではありません。
「わかりやすさ」をゴールポイントにすべきではないということです。
伝えなければならないのは「面白さ」だと考えるのです。
そもそも、「わかりにくい」は「面白くない」に含まれるでしょう。

さて、この4回にわたるこのシリーズも、
このあたりでまとめに入っていきたいと思っています。

まとめるにあたって、
「文体」というキーワードから始めたいと思います。

「文体」・・・筆者によって個性が見られる、文章のスタイル。
文章を黙読しているときに聞こえてくるリズムや声色のようなもの。

スタイルは内容を規定します。
つまり、箱=スタイルによって、入れられる内容が決まります。

私が言いたいことは、

「煎茶」を奥から手前に引き戻すために、
探していかなければならないのは、

「わかりやすい」文体でもなければ、
もちろん「わかりにくい」文体でもなく、
「簡単な」文体でもなく「難しい」文体でもない。
「なんかわからないけれど、めっちゃ面白い!」
と言っていただけるための文体だ、

ということです。

それは内容を浅くもせず深くもせず、
常に本質を醸し出しながら、なおかつ誰にでも手に取りやすいやすい軽さを持ち、そもそも手に取ってみようかなという魅力があり、
情熱的で、新しい、そんな文体です。

語る言葉であれば「文体」ですが、
茶席の設え(道具の取り合わせ)であれば「取り合わせ体」、
つまり、亭主によって個性が見られる茶席のスタイル、
動画であれば「映像体」
つまり、映像作家によって個性が見られる映像のスタイル、
「文体」以外は造語ですが、
何にしろ、表現の眼には見えないけれどそこに確実に存在する
その表現者独特のスタイルのことです。

文化の担い手全員が、新しく独自の「体(たい)」を見つけていくこと、
課題はここに集約されていると思っています。

思えばこれは歴史上何も我々にだけに課されたことではありません、
歴史上全ての表現者たちに課せられてきたことです。

煎茶の先哲である
頼山陽は、
言わずと知れた「日本語として音にしやすい漢文体」を生んだ人です。
与謝蕪村にしろ、
「漢詩と俳諧を摺り寄せていく独特の文体」を作り上げました。
あるいは池大雅は、
一本の線を見ただけで彼の画だとわかるいわば「描体」を獲得しました。

全ての表現者がぶち当たる難問です。

俳優の柄本明さんは、ご子息が俳優になるとおっしゃったとき、
「自分の声を探しなさい」とだけ言ったそうです。
俳優としての「声体」ということだろうと私は解釈しています。

ネットという媒体、
on-lineというつながり方が主流となっていくウィズコロナ時代、
このつながりの中で、
「なんかわからないけど、めっちゃ面白い!」
を作れる「表現体」というべきものを、
どう作り上げていくのか、これが何よりの課題だと、
私は考えています。

来週からは、文楽の本公演が、数か月の休止期間を経て再開します。
その一発目の舞台で、
織太夫師匠がどんな声を出されるのか、
どんな「声体」で浄瑠璃を語られるのか、
表現者の先輩の「体」を本当に楽しみにしています。

今も昔もこれからも、
私のはるか前を走り続けられている
六代目竹本織太夫師匠の、時代を拓く「声」に、
勉強し、ついていきたいと思っています。

さて、本格的に、ウィズコロナ時代の、
表現「体」を探す旅がはじまります。

4回にわたる文章をお読みいただきありがとうございました。
また引き続き、一茶庵の煎茶をよろしくお願いいたします。

(最後の最後に)
本日2020年8月24日、
文楽太夫で人間国宝の八代目豊竹嶋太夫師匠訃報の知らせが届きました。
私が小学生のころ、嶋太夫師匠に本当に可愛がっていただきました。
ファンの一人として、何度も手紙をやりとりさせていただきました。
青いボールペンでお書きになるご達筆から聞こえてくる、
師匠の優しく、美しいお声が頭から離れません。
師匠が美しい声で、とくに切場語りになられてから
拓いてこられたバブル後、平成の文楽に、いつでも学びたいと思います。
嶋太夫師匠、私に文楽を教えてくださって、
とくに、梅川の情、重の井の情、を美しい音に載せて届けてくださって、
本当にありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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「煎茶」という茶の世界。それは自らたのしむ「自娯(じご)」の世界、文芸と芸術に集う「文人(ぶんじん)」たちの世界です。令和というこの時代に、文芸や芸術を通して、過去の人たちの知の集積と、現代の私たちと、未来世界とを繋げるような「煎茶」文化を提案していければと思っています。