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「アート思考」と「煎茶」ー 序章 内容に入る前にー

『超茶会』という新しいスタイルの茶会について、
先日ここに書いてみて、本来、次は『オンライン茶会』について
書かなければと思っていたのですが、やめました。。。

個人的なことに過ぎないのですが、
別の場で機会をいただいて、『オンライン茶会』について書いてみませんか、とお誘いをうけていました。それが昨年の12月初旬でした。
年末までには、とお返事していたのですが、
それが全くまとまらず、結局、年明け10日ごろ、
どうにかこうにか書き上げました。(その節はすいませんでした)

さあそしてまた、このnoteの場で『オンライン茶会』について書く、
と自分に課題を与えたわけですが、また、昨年12月から今年はじめの頭の中の状態を堂々巡りするばかり。
先日の『超茶会』についても、もっともっと書きたいことはあるはずなのに、何かぐいぐいと中身へ切れ込んでいかないような形になってしまっている気もします。

原因は何なのか。

思い入れが強すぎる、ということもあるようです。
とくに『オンライン茶会』に関しては、昨年、コロナ禍で生み、
色々な人に助けられ、助言をいただき、教えていただき、
毎回毎回、何らか、思い通りにいかない部分があり、
大失敗もあり、ご迷惑もかけ、御不快な思いもさせてしまい、
それでも何とか、5月から12月までに8回開催し、どうすればよりよくなるのか、そもそもオンライン茶会をよくするとは何なのか、どこへ向かおうとしているのか、日々頭を悩ませてきました。

『オンライン茶会』と『超茶会』と、
それをハイブリットで行う『超オンライン茶会』とが、
茶会のニュースタンダードになるはずだ、とも考えているわけです。
(※『超茶会』に関してはデジタル技術とともにもっと進むはずで、それはまた別のお話。。。。)
そのあたりの自負心みたいなものが、『オンライン茶会』についての記述を妨げているようでもあります。

そのような心理的問題もありつつ、
もっともっと重大な原因があるように、
ここ数日で思い当たりました。

それは何かというと、
『アート思考』という、
ここ数年、ビジネスの文脈の中で出てきた考え方に対して、
読めば読むほど「煎茶」であり、
読めば読むほどもっとその先を提案できる、という、コロナ禍以前からの私の考え、
それも結構私の核をなしてきたここ数年の考えをしっかりと書くことなく、
あるいは説明することなく、
新しいスタイルの茶会『超茶会』や『オンライン茶会』を語ろうとしてきたからではないだろうか、
そう思い当たったわけです。

「『アート思考』と『煎茶』」について、
新しいスタイルの茶会について書く前に、
考察していこうと思います。

「『アート思考』とは、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
こうした思考プロセスであ」る

と『13歳からのアート思考』(末永幸歩 2020年2月19日 ダイヤモンド社)pp.13にあります。

つまり、
これまでのビジネスマンに必要とされた能力、
与えられた問いに対して、求められる/定められる正解をだすこと、
から、
この不確実で、目まぐるしく変化し続ける時代に、
自分の視点をもち、自分の答えと新たな問いが生み出せる人が
必要になってきた、

この時代を切り拓くために
ビジネスマンとして重要になってくるのが、
アーティストの頭の中「アート思考」だ、
というわけです。

「アート思考」を鍛え、育んでいくには、
従来のような「技術と実技」偏重型の美術教育でもなく、
「美術史暗記」という知識詰め込み型の美術教育でもなく、

作品をどう「鑑賞」するか、
しかも個人による「鑑賞」のみならず、
さまざまな視点から切り込んで鑑賞する他者同士が、
自分たちの「鑑賞」を切磋琢磨し、お互いにお互いの「鑑賞」に刺激を受け、新たな「鑑賞」を作り上げていく「対話鑑賞」が必要なのです。

われわれ「煎茶」という、
近世・近代の町人を中心としたサロン文化を担う人間にとっては、
この「対話鑑賞」は、
江戸時代に、町人たちにとっては当時新しかった中国の芸術に、
集い、煎茶や酒を飲みながら語りあったサロンの在り方と、
重なり合ってくるわけです。

このサロン文化を引き継ぐ我々は、
絵や詩をめぐる対話を展開するサロンのやり方、あり方の
ノウハウを受け継ぎ、その難しさ、恐ろしさ、豊かさ、楽しさ、
よくわかっているつもりです。

もちろん、「アート思考」=「煎茶」であり、
あらためて「アート思考」なんて言わなくても
われわれにはそれがある!
と言いたいわけではなく、

近世・近代の芸術をめぐるサロンの在り方と
現代のアートをめぐるアート思考のための対話鑑賞とに、
親和性があるから、
それを合わせたときに、
この時代を切り拓く何かが生まれるのではないか、
と思うわけです。

長々と序章を書き連ねてきましたが、
「アート思考」と「煎茶」について、
次回から考察していくことにします。
そうすれば『超茶会』や『オンライン茶会』が何なのか、
書き伝えられるようになる気もするので。

次回からあらためて宜しくお願い致します。

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