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夏至まで


ねえ、一日が長くない?
いつも、クラスメイトとのおしゃべりは気持ちよく聞き流しているわたしも、この言葉には思わずえっと顔を上げた。
そうなのよ。何してる?
と会話は続く。
母より少しお若いくらいのマダムたちのやりとり。一日が長く、持て余すのだそうだ。何をして時間を潰してる?という問いであるらしい。そういうものか。いつかわたしにもそんな日がくるのだろうか。
私には一日は短い。やりたいことやるべきことをあれもこれも残したまま、決まったルーティンをこなして日は傾き夜は更ける。そしてすぐに朝になる。睡眠不足のリスクをこれでもかと聞かされながら、満足に寝た日などあったためしがない。睡眠時間もまた自己管理の問題だろうから、だめなのは自分自身なのだが、どうやっても解決を見ない。

習慣化したいけれどできない、という質問者に、回答する先生は鋭く、
それはどこかで習慣にしなくていいと思っているからできないんですよ
と応じていた。
ジョギングが続かないのは、運動なんてしなくてもいいとどこかで思っているから。なるほどそうに違いない。ではわたしは寝なくていいと思っているのだろうか、と自問する。

この頃眠りが浅くて、8時間ねると6時間くらいで目が覚めてしまうの
などという言葉を聞くと、わたしは心底から憎らしく思う。パンがなければケーキを食べたらいいじゃない、と言われ怒るのと同じように、実に腹立たしい。そもそも8時間も横になれるというのが恵まれすぎている、と見えない相手を睨んで眼色まで険しくなる。この感情はほとんど飢えだ。わたしは眠りたい。

解決しないのは、本気で解決しようとしていないからなのだろうか。
寝ないで何をしているかといえば、家事と家族のお世話だ。それは減らせないから、絵を描く時間を減らすことになる。それは誰も咎めない。自分以外は。だがしかしわたしはべつに悲劇の人になって悦に入りたいのではない。描けるならずっとずっと長く絵を描いていたい。工夫が足りないのかも知れない。
8時間眠ると、起きている間のパフォーマンスが上がるとはよく聞くことだ。もしそうならば、描く時間を削り睡眠に充てれば、より短い時間で濃密な制作ができるのだろうか。家事もより手際よくこなせるのか。未経験のことは、わからない。そうかなあと雲を眺めるみたいにその様子を思い描いてみる。

今朝、
泰山木の一輪目が開いた。
雨が降っていたけれど、木の下へ近づきじっと眺めた。ふわり花弁をひろげた花の斜め下には、これから咲くそれが石鹸の泡のように上を向いている。
梔子が香り、山法師も天を仰いで、白い花の季節がきたらしい。遥かな曇天のもと、射るような朱色の柘榴の花は、はや実のかたちになっている。夏椿の蕾の丸さ。南天の細やかな連なり。やはり初夏の花は白いのだと、朝に夕にいまを確かめる。

明るい日暮れどき、筆を洗って片付ける。いつもより一時間早い。策のないわたしは今のところこうするよりほかない。
夏至に向かってまだ日は長くなる。


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