つくること
確か中学生の時だ。
スピーチコンテストの代表選びか何かで、クラス全員が一人ずつ教室の前に立って話をする、という機会があった。
誰もが何かしらの教訓を帯びた起承転結を披露する中で、ひとり、その朝登校するまでの様子を淡々と描写し、さらりと教壇から降りた同級生がいた。登校の道中で何かが起こるという訳でもない。ただこれこれこうであったと、いわば私的な日記を読んで話は了となる。
他の誰ひとりの話も覚えていないのに(自分が何の話をしたのかさえ記憶にない)、彼女の静かに原稿を読む面差しや、話し終え、みんなの呆気にとられた様子に軽く微笑む姿は、今でもくっきりと思い出せる。
絵を描くとはどういうことか。話をするとはどういうもので、文章を書くとは何であるのか。
教壇でさらりと日記を読んだ同級生は、清々しかった。立て続くスピーチらしいスピーチにおそらく辟易としていた皆は、そのさらり、を歓迎した。彼女はコンテストの代表には選ばれず、そしていま、私の記憶の中でひときわ鮮やかだ。
絵らしい絵。話らしい話。軽く微笑んで、裏切っていけたなら。凍った道を踏みながら、そんなことを考える。
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