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ヨガ×白いシャツ×私

ヨガに対してできるだけ誠実でいたいと思っている。

心から愛する人への態度と同様に、ヨガに対しても嘘をつかず、誠実に、真面目でありたい。

そして、私とヨガとの関係だけではなく、「自分のクラスに来てくださる方々と私」の関係や「自分のクラスに来てくださる方々とヨガ」の関係にも誠実に対応したいという思いも含まれている。

その思いから、最近とくに自分が着るものに一層気を配るようになった。
基本的に柄物より単色物派で、トップスには淡いピンクやブルーなどの明るい色のTシャツを着ていたのだが、最近はほとんど「白」を着るようになった。
色が人に与える印象というのはとても大きいのではないかと思うようになったからだ。

「白」という色は、清らかさや穢れのないこと、清廉潔白の象徴とされている。
政治家のワイシャツ、寿司職人の制服、医者の白衣、純白のウェディングドレス、白無垢、巫女の衣装…etc. 私利私欲のないこと、清潔さ、純粋さを表すとき、人は白を選ぶ。
前職で会社員をしていたときも、官公庁担当の営業マンが白以外のワイシャツを着ているところを見たことがない。これが仮に白以外のワイシャツを着ていたとしたら、それだけで誠実さや忠誠心に欠けてしまうように見えるから不思議である。一度、その営業マンが外出しない日に柄のカラーシャツを着てきたことがあったが、白と比べると軽薄そうに見えた。もしこれがお客様との初対面の場面だったら、実際に頭が切れて仕事ができる人であっても、ビジュアルから受け取る印象から、一緒に仕事をするかどうかちょっと距離を置いてしまうのではないかと思った。
やはり、白という色が持つ力は偉大だ。

白いトップスで誠実さのアピールをしたいわけではない。指導者としての私がどう見られているかに常に気を配り、そしてクラスに来てくださる方のヨガの学びの邪魔をしないように努めていたら、気付いたら「白」に行きついた。
ちなみに、ボトムスは濃い紺色やグリーンなどの、トップスの白とは反対色(補色)にしている。

トップスとボトムスを合わせると、非常にシンプルな格好になると思う。人によっては地味と思うかもしれない。しかし、指導者は指導時には自分の練習をするわけではなく生徒が主役であり、生徒を安全にガイドする黒子として徹するべきなので、目立たないシンプルで地味な格好の方がベターである。

カラフルな色は、ものによっては生徒が見入ってしまい、ヨガの練習を妨げてしまうことがあるという事実は、自分が生徒としてレッスンを受けていたときに感じたことだ。
そして、視覚で受け取る色情報から生徒がイメージする指導者の指導スタイルや人柄・人格と、実際の指導者のそれとはさほど差はないのではないかということも私が実際に感じたことだ。

生徒としての私は自由に好みのものを着て練習をしているが、指導者としての私は前述のように目立たないシンプルで地味な格好をしている。存在感がないかもしれないけどいいのだ。
最近はこのようなことを考えて指導にあたっている。