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4.人間における項靭帯の役割

前回、項靭帯は走力に加算される力として発達したと自説を書きました。

項靭帯を持つ者‥‥人間

項靭帯を持つ最大グループはウマやウシの属する有蹄類で、あとはイヌです。そして意外なことに、人間にも項靭帯があるのです。人間だけにあるという印象です。類人猿はもちろんのこと、ほか霊長類にも項靭帯を持つものはおりません。イヌも食肉目の中では例外的に項靭帯が発達しますが、人間も同様に霊長目の中で例外的に発達します。イヌと人間がこんなところで共通項を持つことに、面白さとイヌへの親近感を覚えます。

人間の項靭帯は走るためか?

科学的には、項靭帯の役割は頭部の安定とされております。またウマなど首の長い動物が「草を食むときなどに頭を下げていても疲れないように」とされております。走るために使っていると唱えている科学者はおりません。

いや、一人だけおります。
一昔前に有名になった『Born to Run』という本。邦訳は2010年。「人間は走るために生まれた」という仮説をめぐるノンフィクションです。この本の出版後に「ベアフットランニング」という言葉や五本指の靴、地下足袋ランニングが一般人にも流行りました。

この本の中にダニエル・E・リーバーマンという学者が登場し、「人間は持久走能力を発達させ、それによって獲物を追いつめた」という考えが度々引用されます。

リーバーマンは特に汗による体温調整能力を重視しているようですが、項靭帯のことも取り上げております。考察としては少ないのですが、論旨としては「長時間走る中でも、項靭帯により頭を安定させることができる」というものです。根拠としては「項靭帯が発達している動物は持久走能力が高い」が主だったと思います。

リーバーマンの研究に敬意は表するのですが、正直なところもう少し具体的に項靭帯の働きを見て取ってほしいところです。私がいうのも無礼極まりないのですが、このへんが科学界の物足りないところです。しかし、くどいようですがリーバーマンには敬意を感じております。

アサファ・パウエルの走りに、項靭帯利用を見る。

四つ足動物における項靭帯の使い方は前回書いたとおりですが、人間の分かりやすい動画がなかなか見つかりませんでした。イヌやウマにならうなら、頭の突っ込みと蹴り足の連動があるなら項靭帯を使っていることになります。

残念ながらすごく分かりやすいものはなかったのですが、アサファ・パウエルの走りに少し見い出せました。

冒頭。非常に美しいとされるパウエルのスタートです。頭に牽引してもらおうとしているのが伺えます。
1:16〜、第7レーンにパウエル。左脚と頭の突っ込みにアクセントがあるように見えます。わずかなものなので同意できない人もいると思います。

2:03〜、第4レーン、赤いユニフォームがパウエル。まわりの選手に比べて頭の突っ込みが強いように見えます。第2レーンの選手も比較的突っ込みが強いです。項靭帯の利き方と頸椎7番(人間の項靭帯はここまで)の緊張度合いを観察すると、選手ごとの使い方がかなり違うのが分かります。
その後のレース途上を見ると、パウエルは前半は左脚と頭の突っ込みが連動して強いアクセントがありますが、レース後半は逆に右脚と頭の連動に変わっております。第2レーンの選手は、左右差なくアクセントがあります。ほか頭の突っ込みをほとんど使わない選手もおり、興味深いところです。

項靭帯と上後鋸筋と下後鋸筋

予備知識がないとわかりにくい話になりますが……
項靭帯が引き締められると、上後鋸筋と下後鋸筋も引き締められます。上・下後鋸筋には肋骨背中側左右にあるふくらみを強調する働きがあります。これは一般筋肉学にはない見方ですが、わたしはそう思っております。
首がしっかりした人は背中のふくらみが豊かなことが多いのですが、これはそうした上・下後鋸筋の働きによります。
通常、姿勢というのは腰から積み上がっていくものですが、この項靭帯と上・下後鋸筋が利いてくると、上からも姿勢が作られていきます。
項靭帯から棘上靭帯に緊張が生まれると、椎弓まわりの靭帯と筋膜に緊張が生まれ、そこの筋膜を起始にする上・下後鋸筋に緊張が入ります。
体癖でいう上下型は、この三つの働きがいい人だと考えております。

パウエル選手のスタートには、こうした緊張があるように見えます。脚で蹴り出す動作構造に、上から引き出す動作構造がプラスされているように見えるのです。

人間の多様性

すべての動物は、「種」が同じなら動作形態も同じです。もっといえば、「〇〇科」のなかでさえほとんど差がありません。しかし人間は違います。トップランナーの中にも様々な運動形態があるのです。これが人間の多様性だと思います。

人類誕生・人類衰退

直立二足歩行は重心を動かす手段が少なく、おもな手段は下肢で蹴ることですが、イヌと同様に首の力を抜いて頭を前に落とすという妙技も可能です。その作用は小さなものかもしれませんが、人類草創期にそういう試みが始まったものと思います。人類とイヌとの関わりを考えると、イヌの祖先の走りを見て真似をしたのかもしれません。
霊長目に項靭帯を持つものがいないので、その始まりには興味がつきません。

現代人の項靭帯は、悲しいことにスマホに利用されるだけなのでしょうか。ぜひ今一度項靭帯を見直しましょう。われわれの獲得した項靭帯が喪失してしまわないように。

お願い

ハイエナやヒヒにも項靭帯があるのではないか?と思っておりますが、今のところ資料が見つかりません。ご存知の方おられましたら教えてください。


参考文献

クリストファー・マクドゥーガル『BORN TO RUN 走るために生まれた』NHK出版 2010

ダニエル・E・リーバーマン『人体六〇〇万年史 上・下』早川書房 2015

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