磯谷整体

千葉県柏市と東京都中央区で整体をしております。 命の力を高める整体です。 整体操法と呼…

磯谷整体

千葉県柏市と東京都中央区で整体をしております。 命の力を高める整体です。 整体操法と呼ばれる技術です。 https://www.isoyaseitai.com https://twitter.com/isoyaseitai

最近の記事

腰を伸ばす

腰を伸ばす 初日 仰向けで膝を抱えてお腹の方に押し付けると腰が伸びます。 抱える角度によって伸びる場所が変わります。自分で場所が選べると、体の癖の修正が出来ます。 ちょっと痛いとか伸びにくい所が、その人の急所なので、一日の終わりに修正しておくと翌朝が楽です。 腰を伸ばす 二日目 仰向け膝を抱えて腰を伸ばしたら、手をバンザイします。背骨を伸ばす感じです。 次に膝の角度はそのままに、足裏を床に近づけていきます。 足裏が床に触れたら、床をするようにゆっくり膝を伸ばしていきます

    • コロナ禍、石垣りんの詩に寄せて

      黄変米配給事件に寄せた石垣りんの心情に共感せずにはいられない。コロナ禍とワクチン配給はいつまで続くのだろうか。 事件は違うし、まだ事件にもなっていないが、かつて同じようなことが起こり、同じような憤りをもって詩にのこした詩人がおりました。 以下全編引用させていただきます。気に入った方はどこかでお手にとって読まれて下さい。 黄変米事件 結核患者座り込み事件 一定の人がコロナ禍が続いていると信じて、おそらくそれよりも多くの人がワクチン接種に問題を感じていない中、石垣りんの

      • 腎臓と胸椎10番(T10)の力学

        腎臓は左右ともT10〜12くらいに位置し、血液の浄化を行っています。 これを整体と個人的探求をもとに観ていきます。 軽くバンザイをして上半身を捻ると、腎臓に物理的な刺激が入ります。 体をふたつ折りにして丸くなると、今度は違う刺激が腎臓に入ります。 こうした刺激は10〜12番目の胸椎、ならびに肋骨の動きがいいほど柔軟で融通の利いた刺激となり、動きが悪いほどゴツゴツと硬く融通の利かない刺激となります。 どちらがよりよい働きを促すかといえば、もちろん椎骨・肋骨の動きがよい方です。

        • 熱中症から学ぶ生理学

          口が開いてきたら熱中症に警戒! 体に熱がこもってくると、呼気で深部体温を排泄します。 犬と同じです。 口が開き、吐く息の音が増し、思考力が低下していくなら、早く冷房のあるところへ避難すべきです。 口を開けて冷たい空気を吸うと、肺の毛細血管で血液が冷却され、深部体温が下がっていきます。 以下、より体感を目指す生理学として、、、 体温排泄が優先されると、吸気不足となり、自ずと酸素不足となります。 一般的に「酸欠でぼーっとする」と言いますが、実のところ哺乳類の酸欠感受性はほと

        腰を伸ばす

          リスク化される世界 果てしない比較考量

          美馬達哉『リスク化される身体』青土社 2012 リスクという概念が社会に確立され、それがいつの間にか医療に潜り込み、身体はリスク評価の俎上のものとなった。 リスクを避けるために人はあらたなリスクを犯しているのではないか? この本が2012年に医者によって書かれていることに驚かされた。 p62より引用〉 リスクが過大な恐怖を込めて表現され、健康増進の効果が強力に宣伝されたとき、消費者である個人は弱い立場に置かれることになる。つまり、リスク化される身体が無制限な消費文化にさ

          リスク化される世界 果てしない比較考量

          小林紀晴『写真学生』漫画版

          半分個人的な読書日記です。なんの結論もありません。。。 ==================== 『写真学生』原作=小林紀晴 漫画=長浜敏海 集英社 2002 原作者の同名小説があるらしい。ぜんぜん知らなかった。 それもそのはず。私は小林紀晴についてろくに知らない。唯一知っているのは『Tokyo Generation』。発売と同時に買った。文人たちの東京。それもかつての東京を、現在の東京の写真と言葉で現出させるというコンセプトだった。そしてそこに中原中也も取り上げられて

          小林紀晴『写真学生』漫画版

          手で掴む、肩甲骨でも掴む

          これまでも何度か書いてきたことを今再び書いていく。 これまでほとんど反響はないのだが、自分では重要なことだと思っている。 役に立つ人がいたならうれしい。 鉄棒などにぶら下がり、 グッと手を握ると、 肩甲骨にもグッと力が入る。 われわれは物という他者を掴むと同時に、 体という自己を掴んでいる。 掴むことによって、 物という他者への認識を育て、 同時に体という自己への認識を育てている。 物という他者への認識は、 即ち、自己への認識に他ならない。 武術家であったり、職人で

          手で掴む、肩甲骨でも掴む