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「文系」「理系」の区分はもう古い?キャリア理論から学ぶ新たな区分とは

皆さんは高校時代、文系/理系をどうやって決めましたか?
特定の教科が得意/苦手だったから、というのは一般的ですね。得意科目であれば記憶の定着率もいいですし、「これがしたい!」というものがなければなんとなく得意、なんとなく苦手で選ぶ人が多いのだと思います。15,16歳くらいの年齢であれば親や友人など周囲の人の影響なども大きいでしょう。

僕は人が選択した時の経緯とかライフヒストリーを聞くのが好きなのですが、特に印象に残ったものがいくつかあったので、ここで紹介します。

【ケース1】
当時の化学の先生の先生が大嫌いだった。やる気も出ないから成績も上がらず、それなら好きな歴史を学べるし文系でいいや、という考えに。
ただ、進級した後の数学の教師がすごく魅力に感じ、授業もワクワクしながら受けた結果、数学が大得意に。大学受験の時も、文系学部ながら数学のスコアに大幅に後押しされて合格に至った。今は営業職としてバリバリ働いている。

【ケース2】
通っていた高校の男子の約8割が理系に進む環境。その上、高校1年生の時に仲の良かった友達がほぼすべて理系クラスに進んだため、何の疑いもなくその道へ。理系科目自体は苦手ではなかったこと、そして堅実な性格のため手に職をつけようという視点で薬学部へ進学。しかし、6年間大学で研究するうち、自分の強みが生かせる分野は本当に薬剤師の道なのかということに疑問が浮かぶ。そして、対人関係構築力の高さを生かすことがしたいという意志が生まれ、薬剤師資格を生かして現在はMR職として活躍。

【ケース3】
特にこれが得意!とか、これが嫌だ!というこだわりがないタイプだった。ただ、2つ上の兄が文系に進んだのを見て、「兄とは違う道を行きたい」と漠然と思い理系に進むことに。進んだ先で理系の面白さを感じてはいたものの、将来自分はこの勉強したことを生かして仕事をするんだという思考は全くなかった。第1志望の理系学部に受験したが落ちてしまい受かった文理共通の学部に進む。そこでデータサイエンスを学び、その知識を生かしマーケティング分野に従事。

これらはあくまで一例ですが、思い当たるところがある方は少なくないのではないでしょうか。

でも、よく考えたらおかしいですよね。
高校2年生の時はそんなに意識せずに決めたことで、その後の人生が大きく変わるんです。文系を選んだ学生は社会科学系の学部(文、法、経済など)へ進み、ほとんどが事務系の職種に就きます。一方、理系を選んだ学生は自然科学系の学部(工、理、農など)へ進み、研究開発や生産管理などの技術系の職に就く(理系の方は、専攻分野とは切り離して事務職として就職することも可能です)。このように人生を大きく左右する選択であるにもかかわらず、自分で”決めた”というより、環境要因で”決まってしまった”という軽い選択になってしまっていますね。
そのような「軽い」選択をした方は、どこかで行き詰ったときはじめて自分の特徴を見つめ直し、生き方を変えることを決断する場面に直面します。これが大きければ大きいほど、プレッシャーの大きさに怯み「現状維持」を選択する人も多いのではないでしょうか。そして、分岐点というものは人生が進むにつれて大きくなるものだから、動けないまま自分に違和感を抱えて生きることに。もちろん、現状の延長線上を歩むことは悪いわけではないです。ただ、自分の人生をコントロールできているか、ここは問題です。現状を守ることに必死で、いつの間にか誰かに期待されるままに生きていた、というのは少し寂しいですし。

では、人生をコントロールできる最初の選択である「文系」「理系」の選択はどうすればいいのでしょうか。

この答えは、キャリア理論の「プランドハプン」「キャリアアンカー」という考え方を知っておけば解決するのではないかと思います。文系、理系の区分で生き方が決定されていくというより、この2つの考え方で考えるべきというのが僕の意見です。

キャリアアンカー

まずは、キャリアアンカーから簡単にご説明します。自ら確固たる指針を決め、その指針にしたがって選択しようという考え方がキャリアアンカー理論です。確固たる指針や意志がある人は、自分の人生を生きていると感じられますし、素晴らしいですね。

僕は就活生の時に、「自分の軸って何なんやろ」ということをよく考えました。この「軸」こそが「アンカー(いかり)」であり、就活でもキャリアアンカー理論を体現している人を評価するという動きは一定あります。
ただ、その時から「軸ってなんなん?」とは思っていました(笑)。この不確定要素の多い時代で、いくつかの軸を決めて行動を起こすこと自体がリスクがあるように思えていたし、何よりそんなに年齢を重ねていないのに、確固たる自分なんて持てるはずがない、と。それでもまじめな僕は、「軸を作らなきゃ!」という思いにかられ、面接で答えられる最低限のものを用意して望んでいました。そんなものですから、選考を進んでいくうちや内定をいただいた後に「あれ、軸って何のために作ったんやろ」と思ったりしてぶれるのは当然でしたね。
「アンカー(いかり)は降ろしたと思いきや、フッと軽くなってぐらつく」。これは僕の経験からではありますが、キャリアアンカー理論に対して思ったことです。

プランドハプン


それに対して、クランボルツはプランドハプンスタンスを提唱しています。これは、個人のキャリアは偶然に起こる予期せぬ出来事によって決定されているという事実のもと、その偶発的な出来事を主体性や努力によって最大限に活用し、力に変えることができる人がよりよい人生を歩むという理論です。
この生き方を体現している著名人の1人に、アップル創業者のスティーブジョブズがいます。彼は大学を中退して起業した会社をクビになり、その後復帰するといった壮絶なキャリアを歩む中で、目の前の体験に全力で取り組んでいった結果iPhoneという世界にパラダイムシフトを起こすデバイスを開発しました。
彼はスタンフォード大学卒業式での講演の中で、こんなことを言っています。「点と点が、自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつにつながっていく、そう信じることで、君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。」
つまり、僕たちは最初から確固たる目的があって点と点をつなぎ合わせていく生き方をする必要はありません。「いつかつながるだろう」というポジティブな考えを持って目の前のことに全力で取り組む。その結果たどり着いた場所に、後から意味づけをしていけばいいのです。
冒頭で挙げた3つのケースは、すべてプランドハプンスタンスの人生を生きているといえます。特にケース3は、意志というより偶然性によって人生が変化しています。しかし,その後人生に対してポジティブに意味づけをすることで人生を自ら選択して進んでいます。

文系理系選択

話を文系理系の選択に戻しましょう。高校1年生、2年生くらいの文系理系分けが人生を大きく変える選択にもかかわらず、「軽い」選択なのはおかしくないか??という疑問から始まりました。多くの人は、タイミングが来たから文理選択をしただけであって、初めから「文系に向いている人間」「理系に向いている人間」なんていないのですから。
そこで僕が思うのは、文系理系選択の前に自分が人生に対してどんなスタンスなのかということを認識することが大事なんじゃないかってことです。
「やりたいこと」「軸」「アンカー」がなくて不安に思う方も安心してください。単に見つかっていないってだけですから。
まずはプランドハプンスタンス。自分の目の前のことに全力で取り組み進み道を柔軟に切り替えていく中で、自分にアンカーを下ろしていく。そんな風に考える人が増えていけば、人生を豊かに生きられる人がもっと増えるんじゃないかなって思います。

【従来の考え方】
文理選択ありき
① 文系→社会科学系の学部(文、法、経済など)→事務系職種
② 理系→自然科学系の学部(工、理、農など)→技術系職種

【僕の提唱する考え方】
人生に対するスタンスありき
① プランドハプンスタンス→文系→ゼネラリスト育成大学(実学を重んじる大学)→総合職
② キャリアアンカー→理系→スペシャリスト育成大学(研究を重んじる大学)→専門職、研究職
こんな感じのイメージです。もちろん、このようにきれいに二元的に分けられるわけではないと思いますが、こういう思考で自分の人生を切り開く人が現れたら素敵ですね。

最後になりますが、僕はキャリアについての理論がもっと広まるべきだと思っています。高校生が直面する文理選択も、「タイミングが来たからなんとなく」ではなく、人生に対しての向き合い方を見定めた上で下すものであれば、いい方向に向かうからです。
これからの時代を生き抜く若い世代が、少しでもいい人生を歩めるように。僕も全力を尽くします。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。