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詩人 礒永秀雄について

礒永秀雄がどんな詩人だったか、どのような人物だったか。残してくれた詩を通して、感じることがありますね。そのほかにも経歴やエピソードなど、折にふれてお伝えし、人間像を探っていきたいと思います。

山口県光市室積のみたらい公園には、礒永秀雄の詩碑があります。その海側の面に礒永秀雄の人物について凝縮した解説があります。
これをそのままご紹介することから始めてみます。 

詩碑の海側に刻まれた解説

 真実を追求しつづけ、まやかしと闘いつづけ、1976(昭和51)年7月27日、ここ光市において55歳で永眠した詩人にとって、海は生命の源泉であった。 
 1921(大正10)年 仁川に生まれた礒永秀雄は 22歳のとき、学徒出陣で南の島に送られる。1950年からは詩誌『駱駝』を主宰するが、その詩精神の底には、戦争の危機的状況の中で見つめた、人の生命の原点への深い想いと、ふたたびそれをふみにじろうとするものに対決する厳しい意思とが、一貫して流れている。
 また、教師としての礒永秀雄から、直接、間接に学んだ多くの若者たちは、その学識や魅力的な人柄から 卒業後にも消えることのない、強い影響を受けた。 
 純粋な詩人の心は、愛する海につつまれて、永遠に生き続ける。   
    2001年4月1日               
                 礒永秀雄詩碑建立実行委員会


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