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自分とは何か ⅳ


この胡散臭い問を立てたのは、他人を思いやりたかったからとか、そんな高尚な理由ではない。納得のいく表現を突き詰めたかったからだ。無限の選択肢の中で、何故それを選んで納得するのか。何が好きで、何が嫌いで、何に心を打たれるのか。それは何故か。何に影響を受け、どう生きてきたからか。道化がすっかり板についてしまった身としては、どれも難解極まりない。iPhoneのクリアケースの内側がごちゃごちゃしていたり、カバンにキーホルダーをぶら下げていたり、好きなもので部屋が散らかっている人間なら即答できるのだろうか。

第一、屁理屈で好きをやっている人間も中々いないだろう。それを好きと言えるのかも怪しい。何が好きなのか考えている時点で、僕は何かを好きになったことがあまり無いのかもしれない。いや、“好き”と自己表現は必ずしも一致しない。自分以外の何かを、好きという理由で自分の一部とすることに抵抗がある、ということなのかもしれない。また、自分に限りなく近い性質を持つ表現者には嫉妬や嫌悪感を覚える。僕は元来、自分にしか興味が無いのだ。

アプローチは、作品を鑑賞することに留まらない。ヒントはインターネットに転がる言葉や、回想、自分の性質に関する診断、ファッションや写真の質感、季節の匂い、何気ないコミュニケーションにすら隠れている。生活の全てが、答えを出すことを目的とした手段と化した。それからというもの、無謀な家出を企んだり、無謀にも大学に行かず、無謀な買い物をしては無謀な労働を強い、無謀な期間の休暇を取っては誰とも会わず、ただ無謀な妄想をして神経を擦り減らす。ふと何かを掴む瞬間が訪れる。その感触を忘れないうちにボイスメモに残す。といった、頭でっかちで現実味のない生活を送っている。サークルの先輩とふしだらな恋をしたり、友達と旅行したり、行きずりの思い出に乾杯したり、誰かが買ってきた手持ち花火に火をつけたり、ただ“楽しい”という理由でその瞬間に没頭するという、多くの人が至高とする体験をする機会を避けるようになってしまった。

“この天ノ弱は、選択肢が無くなった頃に後悔として自分を苦しめるのだろうか。”と呟く自分。“生きる為に生きるなんて意味が無い。夢や理想に生きられなければ死んだ方がいい。それが怖いならやるべきことをやれ。”と焚きつける自分。その狭間で黙り込む自分。頭の中に声が響いて寝付けない夜。そこから救ってくれる有り難い音楽。然し、それすらもヒント。

未だ迷宮の中だが、出口の扉の隙間から漏れる光くらいは見えるようになった。また別の迷宮の入口なのかもしれないが、ここを抜けたら何かがあると信じてひた走ってきた。無謀な生活の中で確信したことを、実際にこうして言語化する運びとなっているわけだ。今まで何度かnoteを始めようとしたが混乱していて、threadが丁度良かった。


僕の表現の理想を形作ったアーティストを、5組紹介する。


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