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自分とは何か ⅴ



小学校に入学した頃。第一世代K-POPアイドルが隆盛を極めていた頃。母親は例に漏れず、音源やMV、ライブ映像をテレビやパソコン、キッチンのスピーカー、カーステレオと、あらゆる時間にあらゆる場所で垂れ流していた。僕は既に音楽教室に通っていて、歌うことがトモコレ、プラチナと同じくらい好きだった。常に耳に入ってくるものだから、否が応でも口ずさんでしまう。7歳の僕にとって、それらと自分が弾きたいと選んだクラシックが音楽世界の全てだった。

母親が主に好きだったのは東方神起だった。知ってから1年足らずで3人が脱退し、2人体制になってからの方が長かったが、脱退したセンター、キム・ジェジュンの中性的で儚げな歌声とビジュアルに憧憬を覚えた。父親に連れられて床屋に行くと、男の子だからという理由で短く切られるので、いつも憂鬱だった。彼のように前髪を伸ばしたかったが、黙っていた。本音を自覚するのが苦手なのはずっと変わらない。時間が経った後に気が付き、後悔したり他人を恨んだりする。自分に原因があるのでタチが悪い。彼のファンだったことを理解できたのも割と最近のことだ。

そうしていつの間にか、彼のようになることが甘い夢になっていた。そこにアイドルやアーティストといった概念は無かった。ただ彼のように、ステージの真ん中で歌ってみたかった。

高学年になると、ロボットアニメを観るようになった。ダンボール戦機、ガンダム、エヴァンゲリオン、ヴァルブレイブなど、どの作品もシリーズ、話数共にかなり多いが、そのほとんどを何周もして、セリフまで覚えていた。平成アニメのキャラクターは基本、中性的で前髪が長い。ハイパーポップと雑に括られるシーンにおける同世代男子の線の細さ、前髪の長さで、y2kムーブメントの必然性が腑に落ちる。場所に制限を設けないという、圧倒的に抽象度の高いカルチャー(ハイパーポップという言葉もこれに対応していると思う)だが、僕は日本人で良かったと心から思っている。

さて、アニメを観出したきっかけは、父親がプラモデルを買ってくれたことだった。レゴで試行錯誤しながら何かを作ったり、休み時間にオリジナルのポケモンを特性や進化などの設定と一緒に考え、2年ほどかけて大学ノート7冊分の図鑑を描いたりしていた僕にとって、それは新しく、魅力的な玩具だった。毎日のように模型店に出入りし、脳内で設計図を描いてはパーツを組み合わせたり、接着させては切断してみたり、色を混ぜてエアブラシや筆で塗装したりしてオリジナルを完成させ、大会で賞を貰ったりもしていた。

こういうストーリーのこういう場面で登場し、こういう人間がこういう戦い方をする、という妄想を自分の感性に基づいて具現化する総合的なビジュアル表現は、自己紹介の好きなこと欄に、“歌うこと”に加えて“オリジナルを作ること”と書けるほどには十二分に面白かった。それは、今最大の関心事であるファッションやヘアメイク、時間芸術であるという点を除けば楽曲制作とも大差ないだろう。1つ大きく異なるのは、これらは自分の肉体、肉声を用いるということ。


ボーカロイドを除いては―


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