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【昭和音楽大全集】9月13日(日):五木ひろし - よこはま・たそがれ

こんばんは。20代にはバブル時代のさなかでディスコ通いでならしたものの、いまではすっかり「リストラ候補世代」となった五十路の男、いそじまんです。

2つのオリンピックも終わり、世の中はやや静かになりましたが、あいかわらず世間の「コロナ狂想曲」は続いています。

未来どころか明日をも知れぬこの時代、一日の終わりにはせめて心安らげる音楽を聴いて過ごしたいもの。

日曜日のきょうは、私が生まれてから青春時代を過ごした「昭和」という時代をいろどった古今東西の流行歌を紹介します。

もしみなさんからの反響がよくて自分も楽しんでかきつづけられるようなら、シリーズにしていければと考えております。

対象となる期間は、私が生まれた昭和39年(1964年)から1980年代の終りとなる昭和64年(1989年)まで。

私と同年代の方には懐かしいメロディーを、昭和時代をご存じないお若い方には新しい発見をおとどけできればうれしく思います。

誰もが同じ曲をくちずさんだ昭和時代

今となっては信じられないかも知れませんが、テレビというメディアが家庭に浸透し、それが流行を形作っていた時代でした。

夜には茶の間で家族一緒にちゃぶ台を囲み、テレビを見ながらの家族団らんが一般的だったのです。

1970年代にはアイドルが多数登場し「新御三家」といわれた西城秀樹、野口五郎、郷ひろみが爆発的人気を博しました。

音楽の流行はフォークから歌謡曲に移っていき、洋楽を摸倣しながら徐々に日本独自の音楽が作られていきます。

芸名を三度変えた苦労人、五木ひろし

私がものごころついたときによく聴いていたのは、歌謡曲というジャンルで、いまでいうと「演歌」ということになります。

なかでも五木ひろしと小柳ルミ子は小学生であるのにもかかわらず大のお気に入りでした。

小柳ルミ子というと今では「サッカーに詳しいおばさん」みたいな立ち位置になっていますが、当時はとても若く(あたりまえか)かわいらしいお嬢さんだったのです。

五木ひろしはもともと福井県出身で小学生から歌手をめざし、上京してレコードをたてつづけに発表したもののヒットに恵まれませんでした。

デビュー4年後の1968年には所属プロダクションが倒産して仕事が0になり、しかたなく繁華街でギターの流しをして生活費を稼いでいたほどでした。

そうした苦労の末、よみうりテレビの「全日本歌謡選手権」でグランドチャンピオンを受賞。

その時の審査員であった作詞家の山口洋子氏や作曲家の平尾昌晃氏に弟子入りし、初めてのヒット曲「よこはま・たそがれ」が生まれたのでした。

当時のシングルレコードのジャケットを見ると、とても整ったいい顔してますよね。

声も太く安定感のある声で、哀愁を帯びたメロディーと単語をひたすら並べた新しいスタイルの歌詞で特徴のある曲になっています。

実は俳優の故・松方弘樹と同期でおなじ先生の弟子になったのですが、五木のほうが歌が抜群にうまく松方弘樹はあきらめて俳優になったとうエピソードがあるくらいです。

★★

今回は、さらっと昭和時代の流行歌を紹介しました。

もちろん、あまりこのあたりは若いクリエイターの多いnoteのコミュニティーではウケないかもしれません。

まあ、コロナ後の個人的断捨離と人生の振り返りの一環として、私自身の「備忘録」として書いています。

僕の音楽の指向性はこうした日本の流行歌とともに、80年代にヒットした洋楽の影響抜きには語れません。

今後は、昭和時代の流行歌だけでなく1980年代のディスコやロック、AORと呼ばれるジャンルを積極的に紹介し、同時に歌詞の内容も解説していけたらと考えています。

AOR(Adult Oriented Rock)といっても皆さんあまりご存じないかも知れませんが、例えばこんな感じの曲ですね。Cristopher Crossの"Sailling"です。

もう夏は過ぎちゃったけど、ほんと夏にピッタリの曲なんですよねぇ。

それではまた来週にお愛しましょう。See You Next Week!

関西在住のWebライター/文筆家のタマゴです。私の書く文章があなたの人生を豊かにすることができていれば、ぜひサポートをお願いいたします。