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睡眠時代

 男は目覚めると、布団のそばに置いてある時計をいじり、時間をセットする。二度寝をしようとする堕落な行為を想起させるが、男はパッチリと目を開け、出社の準備をしていた。
 
 目覚まし時計にみえるそれは「おやすみ時計」だ。いや、「睡眠時計」という者もいる。とにかく、ピタリとくる呼び名がまだ生まれていないのだ。
 
 目覚まし時計は寝る直前に時間をセットするが、その逆とでもいおうか。その時計は朝起きた直後に寝る時刻と睡眠時間をセットする。セットした時刻になると特殊な電波と一種の催眠術のような心地よい音が流れ、セットした時間だけ眠れる。つまり、23時【8時間】とセットすれば23時ちょうどに気を失うように眠り、朝7時にパッと起きる。起きている最中に時計はカウントダウンをはじめ、時間になれば音を鳴らして、人々を一定時間眠らせるというしくみだ。一度寝てしまえば朝まで決して起きる事なく、快眠ができる。以前のように頭に響く騒々しい音で目覚める必要もない。誰しもがこの時計を持ち歩き、規則正しい生活をおくっているのだ。  

 男はすっきりとした頭で仕事に取り組んだ。この時計が開発されてから寝不足からは無縁になり、日中の居眠りなどめっきりなくなった。眠ってしまっては残業どころではないため、長時間労働はなくなり、働き方改革といえた。不眠症で悩む患者は消え、医療機関は大助かり。赤ん坊の夜泣きは解消され、子育てに革命をもたらした。まさに人類は「時間の有効活用」をした。 
 
 しかし、一部の人間は悲しんだ。夜営業がメインの飲食店はダメージをうけた。夜遊びができないと喚く者もいた。しかし、人けの無い寂しい夜に愛想を尽かし、皆おとなしく睡眠を選択していった。

 男は時々仕事終わりに飲みを誘われる。今日も上司から誘いがあったが、あっさり断ることができる。昔なら断りにくい状況だが、これも時計のおかげ。「今日は早めにセットしてしまい、寝なければいけないので」と言えば相手も仕方がないとなる。それはどこか、「今日は車なので」と酒を断るのに似ている。


 男は早めに家へ帰り、家族との時間を大切にする。時計は夫婦円満にも貢献した。接待やら残業やらで夜遅くなることがなくなり、妻も満足している。おそらくどの家庭も、この時計に救われたことだろう。

 男はセットした時間に合わせて酒を飲み、布団に入る。まもなく時計から心地よい音が流れ、男を深い眠りに誘なう。それは深海奥深くを静かに彷徨うような眠りだった。

 夜遅く、外に人の気配はほとんどなく、街ごと眠っていた。

 すると突然、地面から大きなエネルギーを感じた。街は飛び起きる。大地震により大地は激しく揺れ、建物は崩壊し始めている。津波により街は浸水し、原型がなくなりつつあった。 
 
 しかし、男を含めた大半の人間は気づくはずもなく、死んだように眠っていた。

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