見出し画像

DX、WEB3 コミュニティー あれこれ


DX,web3は、普段意識的していない空気のような存在になっており、
あらためてその波を再認識することが出来た。
デジタルの波にのれるデジタル民もいれば、デジタルの波に飲み込まれ
てしまっているアナログ民もいるのでしょう。どちらかといえば、
アナログ民でも活きていける道も多くのこされていることから、私は、
不自由だとしても自らの現在の快適性に拘り、境界を超えそうで超えないような立ち位置にいる状況にあると自己分析している。DX,web3.NFTなどのデジタルとの融合化が自分の興味や快楽の範囲を拡大させる
ことに気づいてしまえば、ホイホイとそれらの技術を習得しているような
未来も想像している。たとえば、プログラミングなども最初の壁を乗り越えるのに心理的障壁や体力的障壁、さらに時間的障壁があるものの、それを乗り越えてしまった先には、自転車に乗れるるようになった小学生のような感覚ではないか・・・

②コミュニティーの重要性がこちらで問われているが、
 講義ではコミュニティーの定義を深堀したらどうなるかという問だったと認識しているので誤認したまま、以下、その認識を述べる。 wikiレベルのコミュニティーの定義は、共同体とかある一定の価値観を共有している
 集団というようなことかと思われる。
 何をもって深堀というのかわからないが、技術革新されている現代において、ある一定の付加価値を持ったコミュニティーの再定義をすることが一つの見解になるかと思います。
 例えば、DX、web3などにより従来の距離感とは異なるコミュニティー集団と再定義できるのではないか。理由として、従来は、コミュニティーは互いの存在や影響の範囲が肌で感じられる距離までとされると思われるところ、現代ではDXやweb3による、機械やAI、モノが人格のようなものを持ちさらに、同時接続状態のSNS等で距離に関わらず人間同士がつながることが可能となったことから、もはや、現代の物理的な線引きを超えたつながりをもった集団・個人と再定義できるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?