見出し画像

差別について考える

僕は、学生時代、情けないほど不勉強な性格で、脳みその記憶容量を勉学に注ぎ込むことができずにいた。
ただ、そんな僕よりも深刻だったのが僕の弟で、彼は本当に勉強ができなかった。
彼の高校進学の可能性を危惧した僕は、「弟の兄は優秀なので弟の入学も問題ない」という印象を学校側に植え付けるため、高校入学から二年間だけは、皆出席で成績優秀者の座に就くことができたが、見事に弟は入試に失敗。
それからは僕も気が抜け、赤点は取りまくり、雨の日は学校を休み、高校卒業を危ぶまれるほどの体たらくとなった。
そんな、一時期は勉強を頑張っていた時期があるとは言え、本質的に怠け者で愚か者の僕は勉強した事もすぐに忘れてしまったため、分からない事が人よりも多い。
2024年一新される新紙幣の人物だって誰一人も分からなかった。
そんな、人間がこれから少し難しい話をするが、勉強不足で変な事を言ったりもするかもしれない。なので、なにかしら僕に間違いや勘違いがあればどうか親切に指摘してほしい。


話を本題へ移そう。

◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️01◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️

僕は自身がボーカルを務めるバンド"アルカシルカ"で、二度のヨーロッパツアーへ行っている。海外でのライブはその都度、自然と必ず考えさせられるテーマがある。昨年のEUツアーは「貧困とジェントリフィケーション(都市浄化)」について学び、今回のツアーでは「差別とナショナリズム」について思いを巡らせる事が多かった。

今回のツアーのスケジュールを組む際に、プロモーターをしてくれたグレゴールから、セルビアの首都ベオグラードに旧ユーゴスラビアの大統領ティトーが所有していた船で一泊を過ごそうかと提案された。

前述した通り、僕は学生時代、勉強をしてこなかったので(あるいは勉強はしたものでも脳から情報が削除されている。)ユーゴスラビアについてもティトーについても全く無知だったのだ。

僕は勉強は苦手ではあるものの、知的欲求は人並みにある方だとは思っているし、そう思いたい。
なので、それらの言葉が僕自身の人生に踏み込んできた事によって、初めて僕はユーゴスラビアに興味を持ち、その歴史について調べる事となった。

これを調べ始めるとこれがまたとても面白かったので、簡単に解説する。


第二次世界大戦中、ナチスドイツに抵抗し、非正規軍でありながらナチスの支配地域をどんどんと開放していった多民族から編成された解放軍"パルチザン"の代表がティトーという男だった。
終戦後に彼はユーゴスラビアの大統領となる。

ユーゴスラビアは「7つの国境、6つの国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と言われるほど非常に複雑な国であった。

社会主義国家でありながら、自主管理社会主義という独自の経済政策を行い、各国に自治権を与え、国民の自主性、自律性を大事にしていた。
また、政権批判などは黙認される一方、民族差別を無くすために、排外的な発言をする者は秘密警察によって投獄されることもあったよう。

それでも様々な文化や経済などの地域差が出てくると、民族間での不満や争いが起きそうになることもあるとティトーが仲裁に入り、その柔軟な政策や外交、指導力によって問題を解決してきていた。
しかし、ユーゴスラビアという国は彼一人のカリスマ性によって成り立っていたとも言われ、彼の死後、唯一無二の指導者を失ったユーゴスラビアは、これまで抑圧されていた民族派の人々の感情が噴出し、各地で紛争が勃発、遂にはユーゴスラビアは解体となった。

というのが、簡単な歴史。まるで漫画のようでとても興味深かった。

この話を知り、僕はセルビアに行くのがとても楽しみになっていた。
が、今ではこの時の僕は一体何を期待していたのだろうかと思ってしまう。

勝手に、そのような歴史があったから国民の根底には差別に対する反対意識が根付いており他者に寛容な国なのだと勘違いでもしていたのだろう。


◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️02◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️

僕らはヨーロッパでは主に"スクゥオット(空間占拠)"された違法スペースであったり、そのスクゥオットが裁判などによって法的に存在を認められた"自主スペース"と呼ばれる場所でライブをすることが多い。

これらスクゥオット、自主スペースというものの多くには「身分、年齢、国籍、性別、性的指向、職業など、それらによって他者を虐げたり、差別を扇動する者でなければ誰でも受け入れる」と言ったメッセージが掲げられている。

実際、ヨーロッパでの差別問題は深刻なもので、ナショナリストによるデモなどでは、移民や外国人に暴力を振るうような過激なものが多い。

ちなみに、ナショナリストと言うのは、主に自身の属する民族単位で国家を統一させようという思想を持つ者で、ナショナリズムは"国家主義"、"国粋主義"、"民族主義"などと訳される。
民族主義の人は自身の民族に誇りを持つが、強固なナショナリズムは自身等が優れている民族だと優位性を持ちたいあまりに、どうしても他民族への差別意識が生まれる事は避けられない。

そして、ヨーロッパのアナキストやパンクスはそういった排外思想によって傷つけられる社会的マイノリティを守るための運動や支援を行なっている。
彼らは断固として差別を許さないという事もあり、どこに言っても僕らのような東洋人でも暖かく迎え入れてくれて僕ら自身が差別を感じるような事は一度も無かった。


◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️03◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️

僕はバルカン音楽やジプシー音楽がとても好きだ。全く違う方向に行きはしたがアルカシルカにもそれらの音楽の要素を取り込もうと思っていたくらいには影響を受けている。

今回のツアーでは、そんな憧れの地バルカン半島へとやってきた事と、タイミングが良い事に、世界最大のバルカン音楽の祭り"グチャフェスティバル"にも行けるという期待で胸を膨らませていたが、この国にティトーの意思が残っているとは言い難かった。

セルビアの首都ベオグラードで企画してもらったスカットという男性が日本語を話せ、彼やその仲間からセルビアの実情を聞くと、現在のセルビア人の多くはナショナリストばかりで、近くに住むロマ民族(ジプシー)の居住区から子供が外に出ると暴言を吐かれたり暴力を振るわれる事が当たり前のように存在していると言っていた。
彼らはそういった子どもたちが他者からの迫害に怯えないで安心して暮らせるように自主スペースを運営し、そこで様々な支援や教育を行なっており、僕らもその場所でライブをさせてもらった。ライブの翌日、ロマの子が一人で遊びに来ていて可愛かった。
こんな子どもにすら良い大人が憎悪をぶつけるなんてどうかしてると思った。

その後、グチャフェスティバルを向かった僕らは奇妙な違和感を感じる。
バルカン音楽はジプシー音楽からの影響を多大に受けており、ジプシー抜きでは語れないものなのだが、この祭りはまるでジプシーに対するリスペクトを感じないのだ。

日本に帰ってきてから、友人から「ジプシーって差別用語じゃ無いの?」と言われ、「え?そうなの?!」と、気になって調べてみた。
確かに日本では1990年からジプシーは差別用語として扱われ、代わりにロマの呼称に差し替えられようになったそうだ。

ちなみに、ジプシーとは国家を持たずヨーロッパ各地を流浪していた者たちで、浅黒い肌と黒髪が特徴の北インドに由来を持つと言われている人々。
ただし、ロマは民族の呼称で、流浪していた民族はロマ以外にもいくつもあるため、誤った差し替えであるとも言われている。

また、なぜジプシーという単語が差別用語に当たるのか調べてみたが、そもそもこれも誤った情報により差別用語に指定されている可能性を感じた。

そもそも、ヨーロッパではジプシーの事はジプシーとは呼ばない。国によってそれぞれ呼称は違うが、ツィガーニ等と呼ばれる事が多い。これは"見えない人"、いわゆる不可触民という差別的意味が含まれているため現在は禁止されている。
そのツィガーニの英名がジプシーである。当然、このジプシーという言葉自体には差別的意味合いは含まれていないが「ツィガーニ=ジプシー」という訳しかできない事から、日本ではジプシーが差別用語に指定されたようにも思われる。個人的に調べた情報からの推測なので正しいかどうか不明。

ちなみに、とあるロマ人のインタヴュー映像を見たが、ツィガーニと呼ばれるのは嫌な気持ちになるが、ジプシーという言葉は英名だから全く何も思わないと言っていたので、僕の仮説もまんざらでもないかもしれない。
なので、僕は今後も当たり前のようにジプシーという言葉を使わせてもらう。

グチャの町のいたるところで数多くのバンドが素晴らしい音楽を奏でていたが、基本的にジプシーは道端での演奏が基本。良い場所で演奏するのは白人ばかり。お土産屋にある楽器を演奏するキャラクターもみな白人ばかり。参加者の多くはナショナリストばかりだとも聞いた。
もちろん、ジプシーの人々はそこら中にいて、物乞いもしているし、演奏もしている。祭りだからみんな楽しそうでもある。だが、なにか言葉では言い表せない妙な違和感が確かにあった。

その他にもクロアチアへの対立意識なども根深いと思う場面に何度か遭遇し、僕は悶々としていた。

----------------------------------


ああ、そうか。結局、ティトーは失敗したのだ。

誰もが平和に暮らすために排外主義を許さないという信条は確かに素晴らしかった。しかし、彼はその思想を国民に受け継げなかったのだ。

だからと言って彼がどうするべきだったのか、皆がどうあるべきだったのかは僕は皆目見当もつかないのだが…。



◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️04◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️

果たして、差別というものは無くなる事があるのだろうか。
そもそも差別とは何なのかという話にもなりそうだが、差別とは様々な文化や歴史、立場や環境、価値観によって形状が変わるものだと思っているので、今回はそれについては話が長くなりすぎるので、あえて触れないようにする。

結局、漫画大国の日本において、数多くの漫画の中で、自分より大きな存在に立ち向かい、弱い者を助ける主人公の冒険活劇に数多の人が惹かれ心を踊らせようが、そこから学んだ事を現実世界で反映させようとする人は少なく、差別意識なんて無くなりやしないし、ユーゴスラビアのように国家をあげて排外主義を排除しても、結局その根底にある思想が国民に浸透しなければ戦争へも発展する。

排外主義者を否定するってのは、結局のところそれ自体も差別じゃないのかという意見が必ず出てくるのだが、もう世界中の人々が子供の時から教えられてるたった一つのルールを思い出して欲しい。

それは「自分がされて嫌な事は人にはしてはいけません」だ。
これは、自分がされて嫌な事は自分に返ってくるから辞めなさいとも言える。

例えば民族派の人が他民族をバカにしておきながら、もし自身の民族が悪く言われたとしたら激昂するに違いない。だから、自分自身が攻撃されないために、他者を攻撃する事はやってはいけないのだ。
もちろん人間だから嫌い、不快と言った感情はあるのは仕方ない。でもそれを口に出して何の得があると言うのだ。あなた自身が何かをされたわけで無いとしたら、他者に向かって嫌悪を吐き出す事は、今度はあなた自身にそっくりそのまま憎しみが返ってくるだろうし、無関係だったあなたの周りの大切な人へも憎悪を向けられる可能性もある。だから、より多くの人を守ろうと思った時に差別主義者は受け入れられないという考えが生まれる。
差別的発言をする人が否定されている時、それはその発言した本人に自分自身のおこなった行為がはね返ってきているだけとも言える。

まあ、だからと言って「自分はやり返されても平気だから好きにやる」ってのも違うと思うが。

だから、僕たちは考えなければいけない。

僕は、僕の知る誰もが不当に何者かから傷つけられて欲しくないし、友人たちが無自覚あるいは悪意を持って人を傷つけたりしないで欲しい。
そして、自分自身が無意識のままに差別に加担しないように、様々な意見に耳を傾けながらバランス感覚を身につけなければいけない。



しかし、話が長くなりすぎた。今回は一旦ここまで。続きはまた次。


サポートしてくれたお金は僕のおやつ代に充てられます。おやつ代が貯まるとやる気がみなぎるかもしれません。