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選挙に行く話

明日、選挙へ行く。

僕は選挙に行けるときは必ず選挙に行っているが、20代前半の頃はずっと無効票ばかり投じていた。
投票用紙に「へのへのもへじ」を書いたり「アナーキス党」などと存在もしないふざけた政党を書いたりしながらも投票だけはしていたのだ。
それは、完璧に支持できる人は居ないけど、与えられた権利は放棄したくないと理由からだったり、僕と同じように無効票を入れる人が増え、有効票を上回って選挙のシステムを見直すことになって欲しいなどと夢想じみた事も思っていた。

そんな事をしていると、友人からも「どうせ誰に入れても一緒とか思ってるんだろ?」と言われたりした。
「そんな事は無い」などと言いながらも、僕は心のどこかで何か諦めに近い、ある種の悲観的な感情は抱えていた。

考えすぎて考えすぎてどうにも何も良くなる気がしなかった。
政治家はみんな口当たりのいい言葉で政策を述べるながら、選挙前に言った公約なんて、時間が経てば平気で無かったことにされ、ペナルティがあるわけでもない。
議員の適正試験があるわけでもないから、どの政党にも必ず無茶苦茶な事を言う議員がいて不安は煽られ、間違いなく税金も物価も上がり続けてるし、どうにも緩やかに緩やかに首を絞められていってるような感覚を感じていたのだ。

そんな政治の世界で、特定の人を信頼できる気なんて起きるわけもなく、自分自身の貴重な一票を妥協で選んだ誰かに預けるなんて事もしたくなかったし、どこか「自分自身の生活は結局自分自身でしか変えられないので、そっちの方が手っ取り早い」とも思っていた。

ただ、そうは言っても自分の事だけなら自分でどうにでもできるが、自分以外の事はどうにもならない事が多い。
大切な家族や友人たちが社会や環境次第では充分に生活が悪化しうるのだ。だからこそ選挙は無視できないと、選挙が来るたびに悶々としながらの無効票ではあった。

そんなある日、別の友人から「多分、お前が支持できる政治家は一生現れない。だから最悪だと思う人間が受からないように票を偏らせないようにしたら?」と、いわゆる"戦略投票"というものを勧められた。

なるほどと思った。

僕は「良くしたい」と思うから選べなかったので「悪くならないように」と考えれば良いのかと、そんなことにもずっと気付かずにいたのだ。

正直、どこの政党も大概なものだが、最も悪くならないような選択は与党が力を持ち過ぎないようにする事だと個人的には思う。

できるなら、与党と野党のバランスはある程度均衡している方が望ましい。
政治家は、下手な事をしたら支持者がひっくり返るという危機意識を持ちながら慎重に政策を考えなきゃいけなくなるし、現在当たり前のようになっているが、審議もそこそこに強行採決が乱発されたり、数の力で意味の分からない法案を通したりなんて事もやりにくくなる。

我々の一票は決して全権委任ではない事を意識しながら、政治家は反対意見にも耳を傾けながら、政策に対するメリットやデメリットをしっかりと考え、理想を現実に近づけるためにどうしたら良いのかちゃんと話し合って決めて欲しい。

と、まあ政治に対する悲観はかわらないけど、そんな当たり前のことを願いながら投票に行くようになったって話。

そんなわけで明日選挙に行く。

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